〈自公過半数割れでアメリカが抱く日本政治への不安〉「ここ数年で最も不透明な局面」、根強い黄禍論的な見方とは?
米国が日本に持つ“不安”
ただ、日本人にとってこれらの鳩山由紀夫氏の東アジア共同体論は、深く練られていない鳩山個人の発想によるものであり、親米路線を変えるといった深い意味はないことは明らかに思えた。また、歴史問題を抱える東アジア諸国が容易に連携するというのはありえないという現状もあった。バブル崩壊後の国力低下で自信を失った日本国民にとって、鳩山氏の論に米国がなぜそれほど大きく反応したかについては理解に苦しむところであった。 ではなぜそのような大きな反応を引き起こしたのであろうか。今回の衆議院議員選挙の結果について米メディアをして、「日本は不確実性に突入した」とまで言わしめるものとの共通点を感じる。
そこには、日本人を完全には信頼できないのではないかという気持ちが見え隠れする。日本人は理解の難しい存在で、無口でニコニコして何もしないが、いきなり刺す不気味な存在、未知なる他者という昔から存在する見方が続いていることが根底にあるとは言えないだろうか。日本人を完全に信頼できないから、日本の政治に動きがあると、不安になる。今年7月に、英国で政権交代があったときには、そのような不安は見られない。 長年政権党であった自民党関係者などとは、米国と組んでいた方がどれだけよいかという共通理解があるが、野党とは日ごろから米側とあまり接点がないため、たまに権力を持つと呑気に突拍子もないことをやりかねない。それが巡り巡ってヒョウタンから駒のようなことにならないか、米側はすごく心配しているというのがこのような反応の背景にあるように見える。 そこには日本人はいつか今までの支配を恨みに思って仕返しして来かねないという考え、すなわち、米国の日本に対する黄禍論的な見方が今でも生きているということがあると思える。今回の衆議院議員選挙の結果に対する過剰とも見える反応も、09年当時と同じ流れで解釈できるのではないだろうか。 また、石破首相のアジア版NATOの発言も米側の反応に影響を与えた可能性がある。米国の核戦力の傘のもとで安全が守られている日本が主導してのアジア版NATOに現実性はない。しかもこれは米国に対して矛をむけているものではない。にもかかわらず、米国抜きで日本が安全保障を構想することに対する米側の正直な反応としては不快感しかなかったのではないだろうか。