追い詰められてからの「知らんがな」で大逆転。番組打ち切りの危機を打破した川島明の大喜利力
目指したのは自分にしかできないMC
昔はMCというと、スーツを着て、話題を出演者に均等に振る役割だと思われていた。川島もそうあるべきだと思っていた。 「以前、違う番組でMCをやったときは、過去のMCの方をきっちりとまねしていたんです。でも僕にそれは似合わなかった」 どこかで見たMCではなく、徹底的に汗かき役に徹するMCでもいいのではないか。そのとき、役に立ったのが、川島がこの世界で生き残る原動力となった大喜利力だった。
「東京に出てきたときのこと。テレビの食レポでおいしさを一生懸命伝えようとして空回りしたことがありました。そこから自分らしさとはなんだろうと考え続けた。おいしい食べ物を前にしたときに、『高速道路に落ちてても拾いに行きますね』って言ったほうが面白いし、僕らしいでしょう」 若き日の川島はそれを武器にしようとひたすら磨き続けた。気がつけば大喜利は川島の代名詞になった。 「大喜利で使う脳みそを、『ラヴィット!』に持ってきているんです。目の前にあることを全部お題だと思うだけ。ボケ倒したVTRも、誰かが着てきた変な服も、すべてお題なんだって」 川島が絶妙なツッコミを入れるたび、スタジオは盛り上がる。そうすると、さらにみんながボケる。気がつけば、出演者たちが争うようにボケるスタイルが定着した。そうして唯一無二のスタイルの朝番組になっていった。
「朝なのに」という評価のその先へ
川島にとって「ラヴィット!」はどのような存在なのか。 「コロナにかかって10日間休んだとき、番組レギュラーメンバーや先輩芸人がMCをやってくれたんですね。もちろん感謝の気持ちでいっぱいでしたが、それと同時に居場所を失ったような気持ちになったんです」 自分以外のMCが番組で好き勝手やっていることが、想像以上にこたえたという。 「テレビをつけたらハリウッドザコシショウが裸で踊っているわけです。自分がいない間に家に変質者が入ってきたようなもんです(笑)。そこにいたら、『何してくれてんねん』って言えたのに」 各局が重視するコア視聴率も最下位から躍進したが、川島はもう少し先を見据えている。 「いまは『朝なのに』バラエティーや大喜利という、『朝なのに』が評価されている。次の目標は同じ土俵でバラエティーと闘うこと。普通におもろいなって思ってほしいですね」 気がつけば「川島といえば『ラヴィット!』」と言われるようになった。みんながそう思ってくれる番組に出会えたことは幸運だと語る。 「朝はやはりニュースを見たい人がいる。でも僕が朝からニュースを語っても説得力がない。でも大喜利だと思えば、そこにいる意味がある。朝から誰かに元気を与えることができたら幸せなことだと思っています」
--- 川島明(麒麟) 1979年、京都府生まれ。1999年に田村裕と「麒麟」を結成。3年後にM-1決勝に進出して注目を浴びる。芸能界屈指の大喜利力でIPPONグランプリで2回優勝するなど実績を残す。2021年より「ラヴィット!」のMCを務める。ハッシュタグにこだわったインスタも人気。