クリスマスの一夜の夢「くるみ割り人形」と金のシャンパーニュ【指揮者・野津如弘の音楽と美酒のつれづれノート】
クラシック音楽と美酒。指揮者・野津如弘が、交錯する時間芸術の楽しみを自在に綴る。今回はチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」。クリスマスの一夜の夢を、金色のうたかたにたゆたいながら、そっとのぞいてみませんか? 指揮者・野津如弘の音楽と美酒のつれづれノート(画像)
プティパ、ホフマン、デュマ、そしてチャイコフスキーが織りなす夢物語
今年も早いものでもう12月。街はクリスマスの飾り付けで彩られはじめた。クラシック音楽で年末の風物詩というと、日本では《第九》かもしれないが、ヨーロッパでは《くるみ割り人形》だ。 クリスマスを舞台に、少女クララがくるみ割り人形(お菓子の国の王子)と繰り広げる夢物語は、ドイツ・ロマン派の幻想文学作家E. T. A. ホフマンの『くるみ割り人形とねずみの王様』が原作で、フランスのアレクサンドル・デュマ(父の作とも父子の共作とも)が翻案した『はしばみ割り物語』を元に、ロシアのマリインスキー劇場の振付師マリウス・プティパが台本を書いた。音楽は言わずと知れたピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)。《白鳥の湖》《眠れる森の美女》と並び、彼の3大バレエと称されている。 フランス生まれのプティパ(1818-1910)は、1869年からマリインスキー劇場の首席振付師を務めていた重鎮で、1890年に初演された《眠れる森の美女》も彼の振付。また初演後お蔵入りとなっていた《白鳥の湖》の再演も手がけるなどチャイコフスキーとの縁は深い。プティパは音楽とバレエ台本の一致を目指した。作曲を依頼した際に、ここは「何分の何拍子で何小節」という具合にバレエ全編にわたって細かい指示を与えたという。舞台と音楽がなんとなく一緒に進んでいくのではなく、物語と音楽の統一、バレエの動きと音楽との合致という難しい要求に応えたチャイコフスキーの職人芸も素晴らしい。
洒落た飲み物とお菓子が勢ぞろい。珠玉の名曲をひもとくと・・・
ここからは名曲揃いのこのバレエの聴きどころ、見どころを順にご紹介していこう。まずは、「序曲」。冒頭のヴァイオリンとヴィオラだけで奏でられる可愛らしいメロディーで、聴衆はおとぎ話の世界へ一気に引き込まれる。ヴィオラが16部音符で忙しく動き回ると、それにフルートとクラリネットが応える。まるで細密画を見ているかのような精緻なオーケストレーション。途中、ヴァイオリンが演奏する夢見心地の旋律も素敵だ。終始軽やかなまま序曲は終わり、幕開けとなる。 序盤に登場する「行進曲」は、子どもたちの踊り。チェロやコントラバスのような低音を担当する弦楽器にはピッツィカートという弦を指で弾く奏法を多用するなど、音楽が重くならないような工夫が凝らされている。その後、クリスマス・パーティーの様子が描かれ、子どもたちは就寝の時間。ここからは夢の中の物語となる。ネズミとくるみ割り人形の戦いの場面。音楽もおどろおどろしくなっていく。ただし、シリアスになりすぎないところがさすが。少女の夢物語という内容を逸脱しない音楽付けの妙を味わいたい。第1幕のラストシーンで、クララはくるみ割り人形から変身した王子に連れられてお菓子の国へと向かう。雪の精たちが舞うコール・ド・バレエと呼ばれる群舞が圧巻だ。 第2幕は踊りの見どころ満載。そこに皆さんきっとどこかで耳にしたことがあるだろう有名なメロディーが華を添える。チョコレート、コーヒー、お茶といった当時流行していた飲み物の踊り。それぞれスペイン、アラビア、中国風の音楽で彩られている。ロシアからは「トレパック」という飴菓子(生姜入りパンのお菓子という説も)の踊りが披露される。「葦笛」はフランスのアーモンド風味の焼菓子の踊りだ。これらディヴェルティスマンと呼ばれる踊りの後、有名な「花のワルツ」を挟んで、クライマックスであるパ・ド・ドゥ。その導入部イントラーダの優美で豪華な旋律と踊りは必聴・必見。短いが、ヴァリアシオンで王子が踊るタランテッラも見逃せない。 続く金平糖の精が舞う「金平糖の踊り」で、チャイコフスキーは発明されたばかりの楽器「チェレスタ」を使用した。アメリカへの演奏旅行の途中立ち寄ったパリで出会ったこの新しい楽器は、オルガンのような形をしており、鍵盤を弾くと、内部にある金属製の音板をフェルトで巻いたハンマーで叩いて音が出る仕組みになっている。「天国的な」という語源の通り、甘く柔らかくも神秘的な音がする。儚く幻想的な響きはまるで、シャンパンの泡のようだ。今年のクリスマスは、ロシアの皇帝も愛したというルイ・ロデレールの「クリスタル」を味わいながら《くるみ割り人形》の美しい踊りと音楽に酔いしれたい。