「迷い」からスタートしたサッカー男子・大岩剛監督「やろうとすることがまた0になる…」世代別代表監督の難しさと向き合い続けた2年半
サッカー男子日本代表は準々決勝でスペインに0-3で敗れ、パリ五輪をベスト8で終えた。56年ぶりのメダル獲得、そして悲願の金メダルには届かなかったが、24歳以上が出場できるオーバーエージ(OA)枠を、同大会の出場国で唯一使用しなかった中、予選リーグを3連勝で勝ち抜いたことは、大岩剛監督(52)が就任から約2年半で積み上げてきたチーム力の高さを証明したといえるだろう。一方で指揮官にとっては、五輪をターゲットにする世代別監督ならではの難しさと向き合い続けていた2年半でもあった。 【写真】あぁ「細谷の1ミリ」判定 シュートを放つ細谷 試合終了を告げる笛が鳴り、グラウンドに何度も拳をたたいて悔しさをあらわにしたり、倒れ込んで号泣する選手たち。そんな光景を目にした後、フラッシュインタビューに対応した大岩監督は淡々と質問に答えるも「このチームを振り返ってどう思うか?」と問われ声を詰まらせた。その涙には、これまでの活動の苦悩も少しは頭によぎったかもしれない。 大岩監督は元日本代表で、11年に現役引退後、鹿島のコーチを経て17年5月に監督就任。18年にクラブ史上初のAFCチャンピオンズリーグ制覇に導いた。その後、21年に12月にパリ五輪を目指すU-21日本代表監督へ就任したが、発足当初は「正直。迷いながらやってました」という。常時、選手とコミュニケーションが取れるクラブとは異なり、代表は2~3カ月に1度。さらに招集できるメンバーも制約が多く、毎回同じとは限らない。さらに、同じ選手を招集できたとしても、ぶつかる問題があった。 「やっぱり“所属チームの頭”になってるんですよね。われわれがやろうとすることがまた0になる。若い選手だったこともあったかもしれないですけど、最初はそういうことの繰り返しだった。分かってるだろうと言うことがもう1回。その作業が何回かあった」 ただえさえ時間がない代表活動で、戦術等をもう一度共有する暇はない。そのため「いろんなものをやろうとしたものが、一本筋を通さないといけない」とし、チーム原則、戦術オプションの数を極力減らし、それをぶれずに積み上げていく方向にかじを切った。 「サムライブルーと置かれている環境が全く違う。フル代表の選手が集まった時に経験があって、自チームで試合に出て、いろんなオプションを組める。われわれは試合に出ていない選手を呼ぶこともある。その選手たちとすぐにヨーロッパに行って試合を行う時に、ポジションごとの役割だったりがシンプルで、それぞれの目線が分かりやすい形で落とし込んでいかないと、思い出すという作業がなかなかできない」 ぶれずにチーム原則を積み上げてきたことで、チームの熟成度は時間が経過するごとに上がっていき、結果として表れた。今春のU-23アジア杯では優勝を果たし確かな自信もついた。「結果が出たからじゃないからですけど。そういう部分が認められたんじゃないかなと思います」。五輪本戦では、DF半田、MF平河らが負傷するもバックアップメンバーを含めて22人中、控えGK以外の20人を起用して3連勝し、「誰が出場しても総合力の高いチーム」を体現して見せた。 21年の東京五輪からは、MF久保、MF三笘、MF堂安ら多くのメンバーが現在のA代表で中心選手となっている。五輪は「選手育成」という観点で見られることもあるが、「メダル」という目に見える結果を求められるのも事実だ。五輪だけを見て批判する声が上がることも想像できる。それでも「やりがいありますよ」と語っていた大岩監督。“貧乏くじ”を引くリスクもあるが「かっこよく言えば使命だし、必ず一人はやらないといけない。途中からそういう気持ちでやってたし、選手にとってこの年代が大事だと思っている。選手をほっておけないというか鍛えてあげたいと思った」。そう話す指揮官の優しい目は、まるで親のようだった。