「富の象徴」100年前の日本製タイル、台湾で人気に 再開発から救出…愛好家ら20年の奮闘
草花や果物が色鮮やかに描かれた「和製マジョリカタイル」が近年、台湾で人気を集めている。約100年前に日本で盛んに生産され、世界各地に輸出されたタイルで、台湾では家屋の装飾に使われた。レトロなデザインや絵柄にまつわる物語が脚光を浴び、今では台湾製の復刻品が台湾政府の海外賓客用の贈答品に採用されるほど、認知度は高い。その陰には20年以上にわたる愛好家らの奮闘があった。 (台北・後藤希) 【写真】約100年前の和製マジョリカタイルを修復、展示している台湾花磚博物館 南部・嘉義市の商店が並ぶ県道沿いの一角。タイルを展示する「台湾花磚博物館」のドアを開けた瞬間、壁一面に敷き詰められた色とりどりのタイルが目に飛び込んできた。「果実の粒が多いザクロは子孫繁栄を意味し、桃は長寿を祈る。タイルの絵柄には意味があるんですよ」。来館者は職員の説明に耳を傾けながら、思い思いに写真撮影を楽しんでいた。 和製マジョリカタイルは、19世紀に人気を博した英国の「ヴィクトリアンタイル」を模した多彩色タイル。明治末期に開発され、大正初期~昭和初期に製造が本格化。東南アジアにも積極的に輸出されたが、第2次世界大戦の勃発で生産は停止した。同館によると、製造元として愛知県の「不二見焼」や「佐治」、兵庫県の「淡陶」など、16~17業者が確認されている。 台湾では、日本統治時代の1915~35年に建てられた富裕層の住宅を彩る富の象徴だった。豊作や家族の繁栄を祈る縁起の良い模様として果物や草花、鳥などの絵柄が好まれ、装飾タイルと赤レンガの伝統建築の組み合わせが台湾特有の風景を生み出した。 ◆ ◆ 戦後、土地の再開発などで古民家が壊されていく中、タイルの救出に乗り出したのが、のちに同博物館を設立する徐嘉彬さん(49)だ。 「建物の取り壊しは止められないが、タイルと共にその家が歩んできた物語を保存したい」。大学院時代にタイルに魅了された徐さんは修了後、エンジニアの仕事をしながら、得た収入で保存・修復活動を始めた。 取り壊されそうな建物があると聞けば、現場に駆けつけ、記録撮影。タイルを取り外して倉庫に運び、カビを除去した。工期に影響しないよう、時には会社に休みを申請して作業に没頭。屋根に上ったり、重さ700~800キロの壁を運んだりと、危険な作業もあったが、苦にならなかった。 カビを落とす薬剤は、タイルの色を損なわないよう、仲間たちと自主開発。薬剤に漬けては洗ってを繰り返すこと約3カ月。ようやくタイルが本来の色彩を取り戻す。 「タイルはそれ自体の美しさだけでなく、一つ一つに美しい物語がある」と徐さん。再開発で立ち退きを余儀なくされた老婦人から託された竹製の椅子には、子宝を祈るブドウやビワ、中国語の発音が「平安」に似たリンゴが描かれたタイルがはめ込まれていた。「結婚した時に持ってきて、年を取るまで使っていた」という。 20年以上かけて修復したタイルは、建物約100棟分に相当する約1万枚に上る。 ◆ ◆ 徐さんは2015年、故郷の嘉義市で古い木造建築を購入し、翌年に博物館をオープンした。今では平日250人、休日には350人ほどが訪れる観光名所に成長。博物館の運営会社も設立し、専属のガイドやデザイナーが働いている。 タイルを再び台湾の暮らしに根付かせたいという夢の実現と同時に、博物館の運営費を稼ぐため、和製マジョリカタイルの復刻にも取り組んだ。タイルに色を付ける釉薬(ゆうやく)の発色を損なわない真っ白な素地を作るため、粘土や長石といった原料の配合を研究。釉薬も開発し、タイルの絵柄を彫る職人も見つけた。インターネットを通じて寄付を集めるクラウドファンディングで開発資金を募り、18年に復刻に成功すると、大阪府の入浴施設などに「逆輸出」もするようになった。 和製マジョリカタイルはかつて日本でも浴室やトイレに使われていたが、戦後に多くが取り壊され、保存されることなく失われた。徐さんは「日本の技術が台湾の文化と融合して、現代まで大切に保存されている。日本の皆さんにも、ぜひ博物館を訪れてもらい、物語を知ってほしい」と話した。