愛犬の介護で体調を崩し44歳で緊急搬送された大河内志保の現在「50代でも不調しらず」でいるために7年かけて学んだこと
約15年間、新庄剛志さんのパートナーとして奮闘し続けた大河内志保さん。2007年に「もうひとりの新庄剛志」としての人生に終止符を打ち、現在は「美容健康食プロデューサー」また「醸せ師」として活動を続けています。(全2回中の2回) 【写真】「岩手の稲麹を手に」食の専門家として活躍する大河内志保さんの現在(全8枚)
■料理家としての新しい歩み「50代でも不調知らず」 ── 結婚を機に、「もうひとりの新庄剛志」となって、野球以外のすべての役割を担おうと覚悟されたと伺いました。その後、メジャーリーガーとして世界でも活躍する姿を、夢をひと通り実現する姿を見届け、帰国後の2007年に離婚を決断されています。「もうひとりの新庄剛志」の役割を終えて、どのような日々を送りましたか?
大河内さん:彼とつき合い始めてから、36歳で別れるまでの15年間、自分の存在を消して生きてきました。20代から30代に経験できなかったことを急いで取り戻そうと、あらゆることを経験と学びに費やし、勉強や経験に時間とお金を投資。15年間を取り戻すことに専念しながら、これまで得た「食」に関する知見を、世界中の人に向けて行いたいと考え、海外にも赴き、子どもたちの給食を作る活動をしたこともありました。新たに発酵学の学びも深め、現在の健康維持に役立てています。
── 発酵学を学ぼうと考えたきっかけについて教えてください。 大河内さん:愛犬の介護がきっかけです。結婚生活を送っていたころから犬を3匹飼っていましたが、1匹を見送り、2匹の愛犬も高齢で介護が必要になってきました。当時は、仕事以外は愛犬につきっきりで点滴や食事療法を行い、自分のことはあと回し。体調が悪くても、対処療法で薬に頼っていました。 しかし44歳になったころ、私が腸を壊し、病院に緊急搬送されるほど体調を崩してしまいました。これを機に「日々の食事」の大切さを再認識。特に「腸内環境を整えるために、いい菌を増やすことが大切」だと気づき、腸にいいとされる「発酵」について学びたいと考えるようになりました。