「明日はパン一つ」、なじみ客の言葉に残ったお金をはたいて臨時の朝市を開くと…東日本大震災の経験者を訪ねたら、能登半島地震被災地へのメッセージであふれていた(1)
▽支え合う人たちに心のサポートを 元・気仙沼消防署指揮隊長で、妻厚子さんを亡くした佐藤誠悦さん(71) 東日本大震災では、宮城県気仙沼市内で発生した大規模火災の消火活動に従事しました。建物に延焼しないよう、一晩中放水しました。雪が降り氷点下の冷え込みの中、寒さで震えが止まりませんでした。 能登半島地震でも、石川県輪島市で大きな火災がありました。テレビで見る限りでは、消防車両が現場に入れない、水の確保も難しいなどの苦労があったはず。自分たちの街が燃えていく様子を見るのはどんなに苦しかったかと思うと胸が張り裂けそうになり、13年前の3月11日にフラッシュバックして、私まで現場にいるような感じで苦しくなりました。 震災当時は消防という2文字の使命感で、消火や救助活動を続けられました。ところがその後は「多くの方々を助けることができなかった」という自責の念に駆られました。 震災で亡くなった女房のことを私が語れるようになったのは、三回忌が過ぎてからでした。能登半島地震で活動している消防士の皆さんも同じような状況にあるのではないかと案じています。
私たちが惨事ストレス対応のカウンセリングを受けた時のこと。泣き顔で「先生も泣いてくれた」と話す隊員や、「すっとした」と晴れやかな表情を浮かべる隊員もいました。 災害現場では、被災者とともに活動する方々がたくさんいます。そうした「支え合う」人たちへの心のサポートが必要と感じます。