「明日はパン一つ」、なじみ客の言葉に残ったお金をはたいて臨時の朝市を開くと…東日本大震災の経験者を訪ねたら、能登半島地震被災地へのメッセージであふれていた(1)
200人を超える犠牲者が出た能登半島地震から2カ月が経過した。大規模な火災で焼失した輪島朝市、長引く避難所生活や被災者への支援活動。こうした被災地の光景に思いを重ねる人たちが東北にいる。 【写真】石川県輪島市の「輪島朝市」周辺に残る焼け焦げた車両
今年で発生から13年を迎える東日本大震災の経験者を訪ねると、当時感じた悲しみや喜び、伝えたい教訓など、能登の被災地に伝えたいメッセージであふれていた。(共同通信=東日本大震災取材班) ▽臨時の朝市、励まし合いの場に ゆりあげ港朝市協同組合の桜井広行代表理事(69) 宮城県名取市の海沿いにある「ゆりあげ港朝市」は、東日本大震災により壊滅的被害を受けました。店主5人が犠牲になり、約50の店舗全てが津波で流されました。石川県の「輪島朝市」の被災状況は、全てを失った私たちと重なります。 震災直後は朝市復興なんて考えられませんでした。自宅も流され、暮らしも商売も、再建の見通しは何もなかったのです。 連絡の取れない姉を捜しに避難所を回っていた時に、なじみのお客さんが「明日はパン一つだ」と言うのを耳にしました。とにかく食べ物が不足していました。そこで、どうせ市場が復活できないのなら、最後にみんなのために組合に残ったお金を使おうと決めました。食料を調達して避難所に配り、ショッピングモールの駐車場で臨時の朝市を開きました。大勢の人が訪れて互いに「頑張ろう」と励まし合い、翌日以降は「次はいつ?」と電話が殺到しました。
これだけ多くの声援があるのだから、応えなくてはいけないという気持ちになりました。何よりも、組合の店主たちが「継続したい」という強い意思を持っていました。 復興は多くの人に応援してもらえる機会でもあります。輪島には朝市だけでなく輪島塗などたくさんのブランドがあります。復興は必ずできます。私たちも、同じ朝市として支援を届けるため募金活動をしています。 ▽不安定な気持ち、日記で整理 原発事故で障害者と避難したグループホーム施設長早川千枝子さん(80) 東日本大震災の時は、東京電力福島第1原発の南約16キロ、福島県楢葉町の精神障害者支援施設「結いの里」の施設長でした。震災翌日、原発の事態悪化で避難指示を受け、利用者らと共に同県いわき市の小学校を経て系列の施設に逃れました。 一番困ったのは、避難生活が長くなるにつれて、薬がなくなる人が出たことです。食事やトイレの時を除き、ずっと布団から出ずに過ごしていた人もいました。パニックになって周囲に迷惑をかけないようにしていたのでしょう。他の利用者も限界に近かったと思います。