日曜の22時が待ちきれない...。ドラマ『団地のふたり』に視聴者が憧れる理由とは? 人気のワケを徹底解説&レビュー
人生の機微を豊かにする団地のコミュニティ
何がいいって「普通のドラマのように大きな事件が起きない」ところがいい。これまでに放送された内容もほぼ住人たちによる、どこの街の一角にもあることばかり。網戸の張り替え、認知症の母の介護、夏祭り、娘の思春期、団地のモテモテおばさんなど、自分の地元を振り返るような話が並んでいる。 このささいな事件に毎度駆り出される、ノエチとなっちゃん。団地を一歩出れば「おばさん」と呼ばれても、団地内では「若い人」なのだから頼られて当然。 私はこの光景が少しうらやましく感じた。年齢を重ねていくと、生活に事件や変化が減る。友人たちとも時間が合わなくなるし、ライフイベントも減る一方で、集合率もぐんと下がる。人間は変化によって生きているのに、それら全てが自分から遠ざかる。人生の濃淡が減ると言っても過言ではない。 が、対するように団地のコミュニティでは、小さな事件が日々勃発。大きな事件は困るけれど、解決できるレベルの事件は井戸端会議のネタであり、優しさだと観ていて微笑ましくなる。
人生の先輩と接することのありがたみ
そしてこれぞ近所付き合いの醍醐味と言えるのが「老後の自分が見える」ことがいい。 ノエチとなっちゃんも団塊世代から生まれた、人口の多い世代。60歳を控えて不安に思うのは、やはり老後のこと。私も40代からじわじわと感じている。 老後がなぜ不安なのかと言えばロールモデルがいないからだ。親世代は男尊女卑バリバリで、女性が第一線で働くことが珍しかった。老後は夫婦で子どもたちに囲まれて過ごすという、定番路線しか選択肢がなかった。が、私たちの世代は単身が増える一方。2030年には、単身世帯数が2025万世帯となり、総人口の17.0%を占めるとも言われている。 でもこのドラマの団地に至っては心配無用。日々を過ごす先輩たちに、余生の自分を重ねることができる。第8話ではラストに姿を消してしまったけれど、福田さん(名取裕子)が残した名言、 「自分の人生の主役は自分よ!」 からも、死ぬ間際まで楽しそうな自分が容易に想像できてしまう。前述の小さな事件を解決しながら、若い人に助けてもらって迎える老後。想像ができる未来とは不安が少ない。そんなシーンが恋しくなり、また日曜の22時が待ちきれなくなってしまう。 【著者プロフィール:小林久乃】 出版社勤務後、独立。2019年「結婚してもしなくてもうるわしきかな人生」にて作家デビュー。最新刊は趣味であるドラマオタクの知識をフルに活かした「ベスト・オブ・平成ドラマ!」。現在はエッセイ、コラムの執筆、各メディア構成、編集、プロモーション業などを生業とする、正々堂々の独身。
小林久乃