「闘将」星野仙一が、すい臓がんでも抗がん剤を拒んだ「涙の理由」
「田中(将大)がチョロチョロし出した」
13年は早川氏が星野さんに自信を持って推した則本昂大が15勝を挙げるなど、田中と2本柱となる大活躍を見せ、ナインの負け癖は払しょくされていった。 「カードの頭に田中と則本が行くので勝ち越せるようになる。すると選手たちも、それが当たり前のような感覚になってきて、意識も変わっていったんじゃないですかね」 7月4日に首位に並ぶと、以降、その座を譲ることなく9月26日、楽天は創設9年目で初めてパ・リーグのペナントを手にした。田中は24勝0敗1セーブという金字塔を打ち立てた。 「WBCでの疲労も考慮されて開幕投手は則本になりましたが、24勝なんてすごいことです。シーズン中、星野さんが田中になにか特別にアドバイスしたとかは聞いていませんし、なかったと思います。星野さんもチームの大エースとして認めていましたから」 リーグ優勝が決まる最終回のマウンドに田中をリリーフ登板させて胴上げ投手にしたのも、その表れだ。だが、日本シリーズでのそれは違ったようだ。 「前日の試合に先発して9回を投げ切っていたので星野さんも『使うつもりはまったくなかったし、ベンチからも外すつもりだった』と話していました。でも、試合前にピッチングコーチから田中が『ベンチに入りたい。投げるつもりです』と言っていると伝えられ、試合中も『田中が自分の近くをチョロチョロし出した』らしいです。 田中は前日の雪辱もありますし、エースとして、ここぞというふうに思ったんでしょう。星野さんも田中のメジャー移籍の話題も出ていたから、日本で投げる最後となる可能性があることも考えたのかもしれません。人情を抑えられない監督でしたからね」 田中のメジャー挑戦に関して、球団内にはポスティングシステムが改められて譲渡金の上限が2000万ドルという見合わない額になったこともあって容認すべきではないという意見もあった。 しかし、翌年の戦いが苦しくなるのは目に見えていても星野さんは送り出す選択肢しか持ち合わせていなかったそうだ。