「空のF1」8位の室屋が伝えたもの
ファンにも、その攻めの気持ちは伝わっていた。スカイラウンジに自らもハンドルを握っている大のモータースポーツファンである元中日、楽天の山崎武司氏がいたので話を聞く。 「初めて見たけれど、こんな近くで飛行機のレースを感じれるなんて、本当にいいものを見せてもらった。室屋さんも、攻めた結果だから仕方がない。おそらくメンタルが僕らが想像する以上に大きな影響を及ぼす競技なんでしょう。あのレースで室屋さんがどんな気持ちだったのか。メンタル面を聞いてみたい。いろんな勉強になりました」 おそらく多くの航空ファンは、山崎氏と同じ思いを抱いたのだろう。 室屋の対戦相手のポール・ボノムは、51.392のタイムを出した。結果的には、室屋にオーバーGのミスがなくとも及ばなかったのだが、そのボノムが、ファイナル4でも圧巻のレースで頂点に立ったのだから、室屋は、優勝と紙一重の大健闘を演じたことになる。 「残念と言えば残念な結果だけど、この1か月、新機体とノンストップで向き合って準備してきたチームとして手ごたえがあったし、大きなステップを踏んだ。次につながるいいレースだったと思う。それがベストタイムにもつながったし、2戦目以降に生きてくる。満足はしている」 実は、日本初上陸となる今回のレースに室屋には、特別の思いがあった。 室屋は、1998年から福島の山の上にある小さな飛行施設「ふくしまスカイパーク」を本拠地にしている。「世界と戦うには滑走路や基地がなければ戦えない。理解をしていただいている福島の県民の方々には感謝しています」。2011年3月11日。福島市内の自宅で被災した、あの日のことは、今でも忘れていない。 「自宅でした。揺れました。スカイパーク(飛行機などを置いてある活動拠点)が心配だったのですが、道路も陥没して行くことができませんでした。スタッフがかけつけてくれて大丈夫だとわかったのですが」 震災後、飛行機をまじえた復興イベントなどを地道に続けてきた。室屋にとって、福島で暮らし、福島でトレーニングをしているからこそ発信すべきものがある。 「千葉での開催だったのでなかなか言いにくかったのですが、福島の総力をあげて戦ったと思っています。福島は、今も大変なんです。もう忘れさられて、あの震災や事故がなかったことにされているような雰囲気が、東北以外にはあるのかもしれませんが、まだ10万人近くの人が避難したままです。自分の家がないんです。海外では、福島は放射能で危険地帯だという風評が、今なおあると聞きます。 僕は福島をベースに活動しています。生活をしています。今、放射能の影響はありません。僕に、何ができるわけではありません。何かを与えているつもりもありません。福島でトレーニングをさせていただき、レースで結果を出すことで、そういう風評を払拭するお手伝いにならないかと思うんです。僕の活動が、福島の現実を正しく伝える、きっかけや何かのお役に立てればいいなと」 2日間で12万人の観客がつめかけ、ネットなどを通じて世界では、1億の人が見たとも言われる千葉でのエアレース。すぐ目の前を低空でスタイリッシュなレースマシンが飛ぶ迫力と爆音は、モータースポーツの新鮮な魅力を提供してくれた。30万円のスカイラウンジチケットを買ったという航空ファンの一人は「室屋さんがいたから観にきた。30万円を安く感じた」と言っていた。室屋は、機体の後ろから流される「スモーク」のように、くっきりと、その軌跡を幕張の空に残した。 「日本でエアレースを開催するにあたって、障害といか、いろんな壁があったんです。6年も7年も前から、この日を夢みてきました。それを乗り越えてきた日本のチームに感謝したいし、12万もの人に集まっていただき、すげえなというか、こういう日が来ることに感慨深いものがあります。人生で一番いい日だったと思う」 人生で一番いい一日。室屋が結んだ言葉が重たかった。 休むまもなく、シリーズ第3戦(全8戦)は、5月30、31日にクロアチアで開催される。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)