大阪「模擬原爆」投下から70年 若者に語り継ぐ元教師の思い
惨状を思い出すことから逃げていた
それらの報道を受け、地元では7月26日に模擬原爆の追悼式典などが開かれるようになっていた。近所に住む龍野さんも、式典が開かれていることは知っていたが、あの時の惨状が未だに強烈で話したりすることができなかった。「忘れられるものなら忘れたい。この惨状を思い出すのが怖くて逃げていました」 だが、ある時、友人らとこの話した時に「辛いことかもしれんけど、それを伝えることも大事では」と言われたことをきっかけに「このままこもっていていいのか」「逃げるのは卑きょうなことでは」などと悩み抜いた結果、この模擬原爆の惨状を語ることを決めた。 今夏もすでに大阪府内にある小学校などの社会見学で模擬原爆について語り、その数は今年だけで5校を数える。教師をしていただけあり、龍野さんは子どもらとすぐにとけこんでいた。 6月に行われた講演では小学生の子らを前に当時のことを振り返り「昔は戦争がおかしいというと、すぐに警察に見張られたりした。けどね、今は自分の考えを言える。あたなたちがしっかりと考えられる人になってくれることを願ってます」と語った。模擬原爆については、まだまだ知られていないという実情もある。だが、龍野さんはその惨状を目の当たりにした1人として、今後もできる限り語り継いでいく決意を持っている。 26日午前9時からは、大阪市東住吉区田辺にある模擬原爆慰霊碑(地下鉄田辺駅から南へ約150メートル)前で「模擬原爆追悼式」が行われる。龍野さんもこれに出席し、当時の様子を話すという。龍野さんは「式典もできる限り出席していきたい」と意欲をみせている。