大河舞台「江戸時代」それ以前と異なる大きな変化。地理と日本史を一緒に学ぶことで見えること
日本史と地理は、別々の科目として学びますが、多くの接点があります。『日本史と地理は同時に学べ!』を上梓した駿台予備校地理科講師の宇野仙氏が江戸時代に起きた変化について解説します。 【写真】『日本史と地理は同時に学べ!』(宇野仙)では、それぞれの時代を日本史と地理の両方の視点から解説 江戸時代は、江戸幕府が成立した1603年から明治に入る1868年までの260年ほどの期間のことを指します。 この時代とそれ以前の時代とでは、実はあるものが大きく異なっています。なんだと思いますか? 正解は、人口です。 「国勢調査以前日本人口統計集成」という内閣統計局が出している本には、時代別の日本の人口の規模が書かれています。
それによると、江戸時代より以前の日本の人口は1000万人以下だったことがわかります。 鎌倉時代は750万人程度で、室町時代にも800万人程度だったとされているのです。ところが、江戸時代中期に入ると、人口は3000万人を超えるようになったと言われています。江戸時代に日本の人口は約3倍にも増えているのです。 ■人口から見える課題や統治の限界 日本史の勉強をしていても、「この時代の日本の人口がどれくらいであったのか」ということを考える機会は少ないでしょう。
しかし実は、人口規模を理解すると、それぞれの時代の課題感や統治の限界などさまざまなことが見えてくるようになるのです。今回の記事では、人口規模という地理的な観点から日本史を見ると面白い、ということをみなさんに共有させていただければと思います。 江戸時代初期、特に1600年代初頭。戦国時代の終結によって、日本で安定した社会が形成され、農業生産力が向上し、人口が増加しました。 この時期の推定人口は、約1200万から1500万人とされています。
そして、江戸時代中期の1700年代中頃には、農業技術の発達や、埋め立てによる新田開発などが行われ、食料供給が安定し、人口がさらに増加しました。この頃の日本の人口は、ついに約3000万人に達したとされています。 江戸時代以前と比べると、江戸時代の人口は3倍以上に膨れ上がっているわけですが、これは「平和な時代が訪れたこと」に加え、農業の発展が要因になっているわけですね。 今でも日本全国に「新田」と名前の付いた地名(東大阪の鴻池新田・東京の武蔵野新田)は少なくありませんが、それはこの時代に作られたものだったとされています。