倉田真由美さん、亡き夫・叶井俊太郎さんとの“最期の会話”を明かす「ちゃんと知覚があって記憶もあって…」
愛する夫の死からおよそ半年…いまも叶井俊太郎さんを思い、涙を流す“くらたま”こと漫画家の倉田真由美さん(53)にABEMAエンタメが独占インタビューを実施。「延命治療」を選ばなかった夫の決意と妻の迷い、そして…今際の際で交わされた “夫婦の最期の会話”を明かした。 【映像】倉田さんと叶井さんの“最期の会話” 夫で映画プロデューサーの叶井俊太郎さんは末期の膵臓がんを患うも、延命治療をしないことを選択。そして、2024年2月16日に56歳で亡くなった。 倉田さん:診断の時は「悪ければ半年、もって1年」と医師に言われていたのでそれよりはだいぶ生きたんですけどね。それはもう亡くなって数日はそうかもしれないけど、半年以上は経って、もう7カ月経っているのに毎日のように泣いちゃう時間があるので、これも意外でした。 2人は2009年9月に結婚。3度の離婚、そして自己破産もした叶井さんとシングルマザーだった倉田さんの結婚に周囲は心配したそうだ。 倉田さん:うち夫婦喧嘩は一回もしたことないの。もちろん彼も私も誰とでも喧嘩しないかってそんなことはないですから。今までの付き合った人とは喧嘩になったことはあるし私も。彼だって全然あったって聞くし。でも私たちは喧嘩にならない相性でした。 2人の間には長女も誕生し、結婚生活は幸せそのものだったそう。しかし、2022年5月…叶井さんの体にある異変が訪れる。 倉田さん:最初は黄疸ですね。黄疸が出たんですけど、皮膚がものすごく黄色になったんですよ。 その後、3つの病院で診察を受け「すい臓がん」が発覚した。 倉田さん:医師に「このまま何もしなければ悪ければ半年、長くて1年の命です」っていうふうに言われましたね。その時に言われた標準治療の方法としては「今のまますぐ手術はできない。このままではできないけれど、でももしかして抗がん剤を入れて抗がん剤が効いたら手術できる可能性が出てくるかもしれない。だからそれをしますか?」って。 叶井さんが決めた治療方針は…成功率の低い、抗がん剤治療や手術といった標準治療を拒否。この決断に倉田さんは悩んだという。 倉田さん:もちろん私はこうしてほしい、ということを言うことはできるけれど、やっぱり自分の体の責任って自分にしか取れないから。彼が決めたことを最終的には絶対受け入れるということは決めていたので。でも私は結構迷いましたよ。夫よりやっぱり迷いましたね。その時点では何としてでも何か治療できないのかなって思っちゃっていました。私は往生際が悪くていろいろツテをたどってね、すごく手術のうまい先生のところに夫と一緒に行きましたけど、その診察室出て開口一番「俺はやらないよ」って夫はすぐ言いましたから。 ーー延命治療をしないという決断に後悔は無かったですか? 倉田さん:だって必ず延びるとは限らないから。逆にそれで命を縮めることもあり得ますから。その手術した人が全員長く生きられるわけではないでしょう。むしろ手術は成功したけど、例えば別の病気にかかって体が弱っちゃうからとか、転移がすぐ見つかってとか。私はその夫の選択、基本的にはあれで全然良かったと思っています。 倉田さんは「対症療法だけで余命をまっとうしたい」という夫の意見を尊重。当の本人は、末期がんを抱えながら仕事を続け…生前、ABEMAエンタメの取材にも応じてくれた。 余命宣告から1年が過ぎても、これまで通りの日常を続けた叶井さん。しかし、ゆるやかに、そして確実にその時は近づき…2024年2月16日に帰らぬ人となった。本人が希望していた自宅での最期を迎えられた叶井さん。 倉田さん:亡くなる前日も普通に晩ご飯を食べて、昼はコンビニのチキンを食べて。夫のリクエストで私が買いに行ったやつ。シャワーを浴びてね。夜にいつも毎日自分でシャワー浴びて、髪の毛洗って髭を剃って。お風呂から出てきて、その後も普通にテレビ見たりしてたんですけど、夜の10時とか11時ぐらいかな「ちょっと先生呼んで」って言われたんですよね。「え!?」って思って。なんかちょっと吐いたりしていたから、夜中に来てもらったんですよ。そして血圧計を測ったらものすごく低くて、血圧計で測れないぐらい低くて。しばらく経って意識がなくなっちゃって。寝ているんだか昏睡状態なんだかこっちは分からないんだけど。でも来た訪問医に「これだけ血圧低くいのに座った状態でいたりとかっていうことの方が信じられないですよ。普通の人はもう昏睡状態で寝そべったまま動けないですよ」って言われました。医師には「夜明けまで持つのは難しいと思います」って言われて本当に驚いて…。だってさっきシャワー浴びたじゃん。髪も洗って。それなのにこんな急に悪くなるの?って。そしたら朝の4時ぐらいに呼吸音が変わったんですよ。それまでものすごく荒い苦しそうな呼吸だったし、寝顔もいつもの穏やかな寝顔じゃなかったんだけど、4時くらいにだんだん呼吸が柔らかに穏やかになってきて、寝顔もいつもの寝顔みたいになってきて。日の出があって、明るくなってもちゃんと呼吸してるし。朝、その後ちゃんと目を覚ましたんです。7時過ぎてたと思うけど。その時に夫が「俺、昨日ヤバかったよね」って。ちゃんとだから朦朧としてないでしょ。ちゃんと知覚があって記憶もあって。「うん、ヤバかったよ」って答えて、水を飲ませて。でもあんまり飲めなかったんですよね。絶対喉が渇いてると思ったのに、口を湿らす程度にしか飲めなくて。意識はあったけど、喋れる状態ではなくて。ただ意識があったって何で言うかっていうと、その看護師の方がね「じゃあ叶井さん、また来るからね」って言った時に手を上げて。だから分かってたんですよ、ちゃんと聞こえてたし。その後はもう話すことはできなかったですね。
ABEMA TIMES編集部