強豪への歩み/1 まちぐるみで監督誘致 /兵庫
<第91回選抜高校野球大会> 「先輩たちは冷静だった」。昨年7月25日、神戸市のほっともっとフィールド神戸。西兵庫大会準決勝で明石商は、小野を相手に九回裏に3点差を追いつくと、延長十回にサヨナラ勝ち。土壇場での勝負強さを発揮し、夏の甲子園初出場に向けて勢いを加速させた。 現チームで4番に座る安藤碧選手(2年)は、九回に代打で出場し、同点打となる2点三塁打を放った場面を鮮明に記憶している。脚は震えていたが、ベンチの3年生が平常心を保っていると感じ「自分を取り戻せた」。 強豪としての歴史は浅い。それでも先輩から後輩へ「勝利への執念」が受け継がれる流れは、既に伝統校並みに確立されている。 ◇ 「もう一つの甲子園」こと全国高校軟式野球大会のメイン会場として知られる明石市。もともと野球熱が高い土地柄ではあったが、1987年に古豪・明石が春夏連続出場して以来、地元勢は甲子園から遠ざかっていた。 明石市は2005年、地域活性化策の一環として「野球を通じたまちおこし」に乗り出した。ターゲットは市内唯一の市立高校の明石商。野球部強化の切り札として、市は指導者の全国公募に踏み切った。採用試験を受けた7人から選ばれたのが狭間善徳監督だった。 ◇ 「練習の大切さを分かっていない子もいた」。06年にコーチとして就任し、翌年監督となった狭間監督は、当時のチームの印象を振り返る。問題を解決するには、練習するしかなかった。ノックを4時間続けたこともあった。 「練習がつらくて、何度も辞めようと思った」。06年に入部したOBの一人は振り返る。入部時に30人以上いた同期生は次々に辞め、最終的には十数人しか残らなかったという。 今なら当たり前の練習量でも、厳しさを知らない当時の部員にとっては「猛練習」だった。それでも、くじけずに野球を続けた選手たち。チーム力が底上げされると同時に、次第に成績も残せるようになっていった。 × × × 17年秋から4季連続で県大会優勝を飾るなど、今や「野球王国・兵庫」を代表する存在となった明石商。狭間監督が着任した06年以降、着実に力を付けてきた歩みを4回に分けて振り返る。=つづく 〔神戸版〕