【Xデーはあるのか?】ウクライナのパイプラインが破壊される日 欧州を襲う“ロシア天然ガス供給停止”の恐怖、日本への影響も
西ドイツとソ連の相互依存が始まり
60年代にソ連では天然ガスと原油の大規模な生産が開始され、輸送用パイプが必要になったが、62年にキューバ危機を経験し冷戦の最中にあった米国はソ連向けパイプ輸出を禁止した。 一方、欧州における米国の存在感の肥大化を懸念していたとされる西ドイツは、米国の反対にもかかわらず、天然ガスを購入し代金をパイプで支払うことでソ連と合意した。ソユーズ・パイプラインがウクライナからミュンヘンを州都とするバイエルン州まで延長された。 天然ガス輸送が開始された73年に第一次オイルショックが起き、主要国はそれまでの石油主体のエネルギー供給の分散を迫られる。ソ連産天然ガスは西ドイツの石油危機からのエネルギー供給の転換を支えた。 西ドイツのソ連産天然ガスの輸入量は増加を続け、ベルリンの壁が崩壊した89年には西ドイツの天然ガス消費量の3分の1を占めるようになった。 冷戦時代にポーランド、ハンガリーなどの東欧諸国はソ連産天然ガスに依存していたが、西側諸国もEU域内での生産量の減少もあり競争力のあるソ連・ロシア産天然ガスへの依存を深めた。 EU向け天然ガス価格は、発熱量当たりでは原油価格と日本向け液化天然ガス(LNG)価格を、ロシアがウクライナに侵攻した22年を除き、常に下回って推移した(図-1)。
もめ続けたロシアとウクライナのガス輸送
91年のソ連崩壊直後からロシアとウクライナ間では天然ガスをめぐり紛争が続いた。同じパイプラインで輸送されるウクライナ向け天然ガス価格、支払い遅延、ウクライナによる欧州向け天然ガス抜き取り疑惑など、多くの紛争があったが、06年1月1日にロシア国営天然ガス企業ガスプロムは、天然ガス価格をウクライナと合意できなかったとしてウクライナ向け供給を停止した。 供給停止後、ウクライナが欧州向け天然ガスを自国で消費したためEU内でガス不足に直面する国が出たが、1月4日に価格合意が設立しガス供給が再開された。 09年1月1日、ガスプロムは価格を巡る紛争のため再度ウクライナ向け供給を停止した。ブルガリア、ハンガリーなどでガス量が不足する事態になった。 1月4日ウクライナの裁判所は、国営の天然ガス企業ナフトガスに対し、欧州向け輸送の中断を命じ、1月7日ロシアはウクライナ経由の輸送を全て中断した。1月19日に価格合意書が調印され、20日に天然ガス供給が再開されたが、いくつかの東欧諸国は厳冬期に暖房用天然ガスが不足し深刻な状況に陥った。 ウクライナ経由の輸送の中断が起きた2000年代には、ロシア産天然ガスの8割から9割はウクライナ経由でEU諸国に輸送されていた。輸送中断を経験したドイツは海底ガスパイプライン・ノルドストリーム1の完成を急ぎ、他EU諸国も他ルートでの輸送量を増やす一方、EU内での備蓄設備を増強した。