紫式部と清少納言、どちらがすごい? 比較されるようになったのは… 〝清紫対比論〟とは
ここは、私が歌を詠みたくなるような場ではございませぬ――。大河ドラマ「光る君へ」では、皇后・定子さまに仕えた清少納言が、彰子さまの前でそう伝えるシーンが描かれました。『枕草子』と紫式部の『源氏物語』はこれまでさまざま比較されてきたそうですが、編集者のたらればさんは「優劣論になったのは比較的最近のことです」と指摘します。(withnews編集部・水野梓) 【画像】「光る君へ」たらればさんの長文ポスト 放送の1年「情緒がもつのか…」
紫式部がつづった清少納言の〝悪口〟
withnews編集長・水野梓:第41回「揺らぎ」は、喪服で現れた清少納言(ファーストサマーウイカさん)が、ずっとふさいだ表情で、見ていてつらいですね……。 たらればさん:史実では、寛弘五年(1008年)ごろから、清少納言の娘・小馬命婦が彰子さまの後宮に仕えていた、という記録があります。 おそらく『枕草子』の写本は娘が管理していて、彰子さまの許しのもと女房たちに貸し出していた…と言われています。なので、おそらくドラマのような「カチコミ」は史実ではやらなかったと思いますが……。 水野:「『枕草子』の書き手に会ってみたい」という彰子さま(見上愛さん)のセリフもありましたね。 それでも、敦康(定子さまの遺児)が東宮になれなかった状況で、ききょう(清少納言)は、楽しそうな彰子さまたちのようすが許せなかったわけですね…。 たらればさん:ききょう、「ご安心くださいませ。敦康親王さまには脩子内親王さまと私もついております。たとえお忘れになられても大丈夫でございます」と言っていましたよね…道長の一族に何かひとこと言いたくなる気持ちは分かるんですけどね……。 水野:ドラマでは「清少納言は得意げな顔をしていた」「ひどい方になってしまった」とまひろ(吉高由里子さん)がつづっていましたよね。ここで『紫式部日記』につづられている清少納言の悪口が出てくるんだ!と思いました。 たらればさん:紫式部日記に書かれている清少納言への悪口って、本当にひどいんですよ。作品(枕草子)への批評…というより、人格批判です。 【原文】 清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく見れば、まだい足らぬこと多かり。 かく、人に異ならむと思ひ好める人は、必ず見劣りし、行末うたてのみ侍るは、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづから、さるまじくあだなるさまにもなるに侍るべし。 そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍らむ。 【たらればさん訳】 清少納言という人こそ、得意顔で偉そうに振る舞っていた人です。あれほど利口ぶって、さかしらに漢字を書き散らしているくせに、間違いは多いし。 このように、自分は他人よりも特別優れていると思い込みたい人は必ず見劣りするものだし、将来悪いことが起こるだろうし、風流ぶるものだから、ひどくもの悲しくつまらないときでも、しみじみ感動してみせたりして、そのうえいつも「なにか面白いことはないか」と嗅ぎ回って、自然と誠実でない態度になってゆくのでしょう。 そんな不誠実な人間が行き着く先は、どうせろくなもんじゃない。 たらればさん:……ここまで書かなくてもよくないですか?(笑) 水野:たしかに……。何かいやなことでもあったのかなぁ、とか思ってしまいます。ドラマの流れで書いたとしても、そこまで悪口言わなくてもいいのになぁって思っちゃいますね。