『光る君へ』彰子と最愛の人を結んだ「百錬鏡」とは?一条天皇の「辞世の句」を途切れさせたドラマ演出の意味
■ 『権記』にも記された意外すぎる「彰子の怒り」 ドラマでは、行成の「敦成様を東宮にと、仰せになりました」という報告を受けて、道長は喜びのあまりに息をのみ、しばし声も出なかった。そして「またしてもお前に救われたか。行成あっての私である」と、心からの感謝を述べた。 道長は「よし、中宮様にご譲位と敦成様が東宮となること、お伝えして参る」と言って、彰子の元に急ぐ。 ところが、彰子は「なにゆえ、私に一言もなく次の東宮を敦成とお決めになりましたのか!」と激怒。彰子と敦康皇子の仲むつまじさは道長も知っているだけに、ある程度の反発は予想していたかもしれない。 だが、養母として敦康をここまで大切に思っていたとは、道長も思わなかったのではないだろうか。彰子は道長に「父上はどこまで私を軽んじておいでなのですか!」と言い放っている。 わが子が皇太子になれるというのに、彰子が喜ばなかったことは『権記』にも「后宮(彰子)は、丞相(道長)を怨み奉った」と記されている。 ドラマでは、彰子がまひろ(紫式部)に「中宮なぞ、何もできぬ。愛しき帝も敦康様もお守りできぬとは」と涙する場面もあった。父への恨みを深めながらも、自分の実力不足を痛感したようだ。 かつては「仰せのままに」としか言わなかった彰子が、父の道長にキレるという変貌ぶりは、大きな反響を呼ぶことになった。この苦い経験をもとに、彰子はここからさらに成長していくことになりそうだ。
■ 文献によって異なる一条天皇の「辞世の句」 一条天皇が崩御し、いよいよ三条天皇の治世となった。 一条天皇の辞世の句は文献によってやや異なる。道長の日記『御堂関白記』では「露の身の 草の宿りに 君をおきて 塵を出でぬる ことをこそ思へ」となっている。意味は次のようなものだ。 「露の身のような私が、草の宿に君を置いて、塵の世を出ることを思う」 ところが、『権記』のほうでは、「草の宿に」が「風の宿りに」となり、結びの句も「ことぞ悲しき」と異なっている。「残された君を思う」という大意は変わらないが、この「君」を道長は「彰子」、行成は「定子」と解釈したようだ。 ドラマでは、この結びの句が異なるところに着目。「最後の部分を本人が力尽きて言えなかった」とする演出にはうならされた。 早いもので最終回まで2カ月を切ったが、文献での記述を踏まえることでより楽しめるのが今回の大河ドラマの特徴と言えそうだ。ぜひドラマと合わせて、当連載も引き続きお楽しみいただきたい。 【参考文献】 『新潮日本古典集成〈新装版〉紫式部日記 紫式部集』(山本利達校注、新潮社) 『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫)『藤原行成「権記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫) 『現代語訳 小右記』(倉本一宏編、吉川弘文館) 『紫式部』(今井源衛著、吉川弘文館) 『藤原道長』(山中裕著、吉川弘文館) 『紫式部と藤原道長』(倉本一宏著、講談社現代新書) 『偉人名言迷言事典』(真山知幸著、笠間書院)
真山 知幸