「終活」はあれこれ備えることだけじゃない。終活スタイルプランナーが語る、自身の体験と今できること
「終活」と聞いてあなたは何を想像するでしょうか?悲しい?縁起でもない?考えたくもない?それとも、まだ早い? 「その日」を考えることは、決して悲しいことでも悪いことでもありません。この連載では、終活スタイルプランナーの鈴木治美さんに、ご自身の体験を交えながら「身近にある・難しくない終活」について教えていただきます。第一回目は、鈴木さんご自身の体験から。 ------ 『終活』というワードを見て、こちらの記事をお読みくださりありがとうございます。終活って、何となく気にはなるけど、「私にはまだ早いかな」「何から始めればいいか分かんない」と先延ばしにしがちだったりします。それに、終活しようと思っても、家族や友達には何となく話しづらいし、誰にどんなふうに相談すればいいのかも分からない。・・・と言う私自身も、以前はそうでした。いや、「終活どうする?」なんて思ったこともなかったし、むしろ縁起が悪いことは考えたくないタイプだったかと。家族に“もしも”のことが起こるまでは・・・。 この記事にアクセスしてくださったあなたに、「これも終活なんだね」「こういうことから始めてみよう」と思っていただけるように、私の体験などを通して身近にある終活のアレコレをお伝えしてまいります! 〈写真〉「衰えた親の姿を見るのが苦しい…親の老いを受け止められない」【グリーフケアの専門家が回答】 連載お初の今回は、私が終活の必要性を感じたきっかけをお話しさせてください。 私が38歳の時、ウェディングプランナーとしてバリバリ働いていた頃、その日は突然やって来ました。 担当していた結婚式の準備のため、朝6時に家を出て駅のホームで電車を待っていたら携帯が鳴りました。電話の主は父。滅多に電話することのない父からの電話。しかも早朝。直感で「何かあった?」と思ってしまいます。通話ボタンを押した瞬間に、それは現実となりました。 「おかあさんが倒れた。脳かもしれない…。」 救急車のサイレンが鳴り響く車内から、動揺を隠せない父の震える声とトーン。うっすら聞こえる「あ~う~…」と唸るような母の声。この時の父と母の声は多分一生忘れることはないでしょう。 あの日から「実家に帰れば親はいつでもそこに居る」ことは当たり前ではなくなりました。 担当の結婚式が無事お開きとなり、母が運ばれた病院にようやく駆け付けられたのは父から連絡があった12時間後。全身に管を繋がれ、昏睡している母を目にして、体中の力が抜け、頭が真っ白になりました。 脳梗塞。 しかも母の場合は脳の真ん中、脳幹の梗塞で手術は不可能とのこと。 目を覚ます気配すら感じられない母に恐るおそる近づき、震えながら母の手を握った私は「お母さん、ごめん!」としか言えませんでした。 母が倒れる10日ほど前に「来週行くね」とメールしたのに結局友達との遊びを優先し、母が倒れる前日の夜に「また行ける日に連絡するね」と電話しようかなと思いつつ、翌日早起きするからと電話せず。 だって、明日も、来週も、来月も、一年先も、母はいつでも実家に居ると思っていたから。こんなことが起こるなんて、みじんも思っていなかったから。 昏睡状態の母を目の前に 「なんで、この前会いに行かなかったんだろう」 「どうして昨日電話しなかったんだろう」 そんなふうに、自分を責めるばかり・・・。面会時間が終わり、後ろ髪を引かれる思いで自宅に帰ると、今日起きたことが何だか信じられず、悪い夢を見ているような気持ちで呆然としていました。そしてこれは夢じゃない、大変なことが起きたんだと我に返り、急に怖くなってきた時、私は無意識に携帯電話で母の番号を出していたんです。そしてハッと気付きました。 「今日ね、大変なことがあったんだよ!」 「不安で不安でたまらない…。私どうしたらいい?」 そう言える相手が母しかいなかったことに。 病院にいる時は、ショックすぎて涙も出なかったのですが、出ることのない母の携帯番号を見ながら、一人のたうち回って声をあげて大泣きしました。 倒れる前日まで働いていたし、当日の昼は祖母や叔母と食事をしていたという母は当時63歳。「この歳で親が死ぬかもしれないなんて…」「何でお母さんがこんな目に…」と、あの頃の私は思うばかりでしたが、実際に予期せず『もしも』のことが起こった方は世の中にたくさんいらっしゃると、今の私は痛いほど分かっています。 この日から2年10ヶ月後、母は旅立ちました。動くことも話すこともできない状態で生き(生かされ)続けるのは、母にとって苦痛だったかもしれません。きっと私たち家族が現実と向き合い、『死』を受け入れられるための時間を作ってくれたんだと思います。ちなみに私が介護士になったのも、いま終活の仕事をしているのも、母のことがきっかけです。 「あの時こうしていればよかった」 「普段からもっと優しくすればよかった」 「体のことをちゃんと聞いておけばよかった」 「もっと頻繁に会えばよかった」 「もしものことがあったらどうしてほしい?と話しておけばよかった」 あれから15年以上経った今でも、たくさんの後悔をかかえています。 終活って、老後や死後のためにあれやこれやを備えておくことだけではなく、家族や大切な人と話したり、一緒に考えたりすることが一番大事なんじゃないかな~と思うんです。 これを読んで、「お母さんにちょっと電話してみようかな」と思っていただけたら、あなたの終活はやわらかくスタートしています。 文/鈴木治美 終活スタイルプランナー・介護福祉士 1970年生まれ。38歳の時に突然母が脳梗塞で倒れ意思疎通ができない状態となる。これをきっかけに当時勤めていたブライダル業界から介護業界に転職。親の看取りと高齢者介護の経験から『終活』の必要性を感じ、終活事業『Living Proof』を開業。現在も介護施設で働きながら、終活に関する情報発信、講演、セミナー・イベントの企画開催、個人相談・サポートなどを行っている。「50代以上&子なし&独身女性」の終活コミュニティや「親の終活」に悩むミドル世代のためのプラットフォームなどを運営。
鈴木治美