冨岡愛「中3から邦楽を聴くようになって…」留学先での思い出、音楽活動を始めたきかっけを語る
こっちのけんとがパーソナリティをつとめるTOKYO FMのラジオ番組「G-SHOCK presents THE MOMENT」(毎週金曜17:00~17:25)。さまざまなゲストをお迎えし、生まれてからこれまでの時間のなかで、人の心に刻まれている「人生が変わった瞬間(THE MOMENT)」を探ります。 11月29日(金)と12月6日(金)の放送では、シンガーソングライターの冨岡愛さんがゲストに登場。この記事では29日の放送の模様をお届けします。音楽を始めたきっかけなどについて語ってくれました。
2002年生まれ、東京都出身の冨岡さん。4歳~15歳までオーストラリアのゴールドコーストで過ごし、高校2年生より作詞作曲を開始。2021年、シンガーソングライターの優里さんが審査員を務めた「ネクストブレイクシンガー発掘オーディション」で優勝。翌年4月、優里さん提供の楽曲「ラプンツェル」をリリース。以降、シンガーソングライターとして数々の楽曲を生み出しています。2025年4月には、自身初となる東名阪ツアー「Tomioka Ai 2025 Live Tour」を開催予定です。 ーーこの番組では、ゲストの方の人生が変わった瞬間“モーメント”を伺っていきます。番組冒頭で伺った冨岡さんの1つ目のモーメントは「2016年 テイラー・スウィフトに憧れてギターを始める」でした。
◆音楽活動は日本でやりたかった
こっちのけんと:続いて、人生2つ目のモーメントを教えてください。 冨岡:「2018年 オーストラリアから大阪の高校へ」です。 こっちのけんと:そもそもオーストラリアに住んでいたきっかけは? 冨岡:4歳からなんですけど、両親が英語学ばせたいということで、母と2人で母子留学として行ってました。 こっちのけんと:そうですか! 帰る時期は決めていたんですか? 冨岡:たぶんフィーリングというか、あまり深く考えてなかったのかな? こっちのけんと:ご両親からの話も聞いてみたい(笑)! それで大阪に引っ越されたと。 冨岡:母の実家が大阪で、祖父母も大阪のほうなので、日本に帰るときは絶対に関空(関西国際空港)を使っていたので。 こっちのけんと:それで大阪なんですね。さきほどフィーリングとおっしゃっていましたけど、何かきっかけはあったんですか? 冨岡:高校生になったっていうタイミングもあったんですけど、ずっと日本で音楽をやりたいなって思っていたんですよね。それも1つのきっかけではありました。 こっちのけんと:やっぱり日本で音楽をやりたいって思いがあったんですね。 冨岡:そのときに日本の歌詞の世界観が(気になった)。中学3年生の頭から邦楽を聴くようになって、向こうにはない比喩表現があったりするんですよね。 こっちのけんと:たしかに。日本独特の表現はありますよね。 冨岡:遠回しの言い方などが綺麗だなって思ったのもありますね。 こっちのけんと:当時はどんな曲を聴いていましたか? 冨岡:高校に入った頃は母の影響でZARDとかaikoさん。あとはずっと好きなテイラーを聴いていました。オーストラリアでは幼稚園から11年間ずっと同じ学校に通っていたので、友達とお別れするのが寂しかったです。 こっちのけんと:そりゃあ寂しいです。 冨岡:当時、ミュージカル映画「グレイテスト・ショーマン」が流行っていたのですが、お別れ会のときに友達全員が、映画のなかで私が一番好きな曲を合唱してくれたんです。 こっちのけんと:優しい。仲良しですね。 冨岡:「日本でもたくさんの夢を見てね」という意味を込めて合唱してくれて。お世辞にもうまいとは言えないんですけど、嬉しくて涙しましたね。 ――ここで「グレイテスト・ショーマン」から「A Million Dreams」をオンエア。 こっちのけんと:どんな状況で歌われたんですか? 冨岡:帰りにお別れディナーとして外食したのですが、お店の前方の座れるエリアにみんなといたら、全員立ち始めて、急に歌い出して(笑)。 こっちのけんと:フラッシュモブですね(笑)。 冨岡:通り過ぎる人たちが全員見ていましたね(笑)。 こっちのけんと:その空間でしか味わえない感動がありそうですね。 冨岡:どれだけ時間が過ぎても、この曲のメロディーを聴いたらその場面を思い出します(笑)。 (TOKYO FM「G-SHOCK presents THE MOMENT」2024年11月29日(金)放送より)