B'zは鎧、自分は普通、他人に嫉妬することもある――デビュー35周年、本人が語る「人間・稲葉浩志」
大学は卒業したものの、アルバイトで食いつなぐ日々。大学時代からの家庭教師のアルバイトを続けつつ、洋服店でも働いた。優等生だった息子の変化に、両親は驚いていただろうと振り返る。 「泣いていたと思いますね、たぶん。教員免許を持って地元に帰る人が多かったので、自分の親も、当然地元に帰ってきて先生をやるんだと思っていたと思うんです。うちの親も強く言うタイプではないので、だいぶ我慢していたと思います。手紙が来ても、『帰ってきて就職しなさい』とははっきり書いてなくて、『田舎ではこんなことが起きて、あなたの知ってるおじさんがこの間、死にました』とか。親にあまり迷惑もかけない子どもだったと思うので、『最後の最後にこいつやりやがったな』っていう感じだったんじゃないですかね(笑)」
B'z結成は劇的じゃなかった
親からの手紙に返事を出すことはなく、稲葉は音楽の仕事を始めていく。そして、ある人物に出会う。 「LOUDNESSというバンドがすごく好きだったんですけど、そのバンドのマネジメントをしている会社がやっているボーカルスクールの宣伝を音楽雑誌で見て、行ってみたいなと思って。通っていくなかで、コーラスのアルバイトの仕事をもらったりしているうちに、事務所で松本(孝弘)さんを紹介されたんです。松本さんが自分のバンドを作りたくて、そのボーカリストを探しているので、話をしたいと。松本さんは、確固たるビジョンがありましたね」 B'zは、1988年のデビュー後、1990年には『太陽のKomachi Angel』で初のオリコン1位を獲得。1998年のベスト盤『B'z The Best "Pleasure"』と『B'z The Best "Treasure"』は、合わせて約1000万枚のセールスを記録した。B'zはJ-POPシーンに君臨し続けているが、その始動はドラマチックなものではなかったという。 「正直に言って、『よしこれで行こうぜ』っていうのは、お互いになかったと思うんですよ。後から聞いた話になりますけど、松本さんも『あそこで決めないと、俺にはもう時間がない』みたいな状況だったらしいし、僕は僕で、ちょっと流されているというか。だから、本当に劇的じゃないんです。『ちょっとスタジオ入って、何かやってみますか』みたいに音を出し始めてスタートして、本番のレコーディングも始まって、ダーッとやって、35年経ったという感じです。今、話していて、自分でも思うんですが、本当にパッションに欠ける感じでしたね」