『憐れみの3章』How deep is your love? 海よりも深い支配
『憐れみの3章』あらすじ
『選択肢を取り上げられた中、自分の人生を取り戻そうと格闘する男』、『海難事故から帰還するも別人のようになった妻を恐れる警官』、『奇跡的な能力を持つ特別な人物を懸命に探す女』……という3つの奇想天外な物語。
海よりも深い支配
ヨルゴス・ランティモスはクリエイティビティのピークにあるようだ。異形のスチームパンク・ヴィクトリアニズムともいえる傑作『哀れなるものたち』(23)のポストプロダクション中に撮られた『憐れみの3章』(24)には、このギリシャ出身の映画作家による獰猛なヴィジョンが炸裂している。ヨルゴス・ランティモスのイマジネーションは、本作の第3章「R.M.F.サンドイッチを食べる」でエミリー(エマ・ストーン)が猛スピードで乗り回す紫色のダッジ・チャレンジャーのように、先の読めない不気味な軌道を描いている。 『憐れみの3章』には腐りゆく身体がどこからどのように腐っていくのかを、ゆっくりと観察していくような感覚がある。『籠の中の乙女』(09)や『ロブスター』(15)、『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』(17)の脚本家エフティミス・フィリップと再び組んだ本作は、原点回帰というよりも、むしろ『哀れなるものたち』のエネルギーをそのままに、地下へ地下へと深く潜っていくような作品だ。第1章「R.M.Fの死」でマーガレット・クアリーの演じるヴィヴィアンは歌う。「How deep is your love?(あなたの愛はどれだけ深い?)」。そこには海よりも深い支配がある。 『憐れみの3章』には不吉なくらい眩しい白い光が降り注いでいる。陽光による支配。絵画的な曇天の空が全体を支配していた前作『哀れなるものたち』とは対照的だ。前作の凝りに凝ったセット撮影は、ニューオリンズを舞台とするデラックスなロケ撮影へと移行している。ヨルゴス・ランティモスは大掛かりなセットや照明に頼らないシンプルな撮影に立ち返ることに興奮を隠せなかったという。何より撮影監督ロビー・ライアンによるワイドショットが素晴らしい。すべてのワイドショットに絵画的な強度が宿っている。同時に不穏なまでに冷えきっている。『憐れみの3章』のワイドショットは、登場人物たちが支配から隠れようとするのを冷たく拒否している。