どんな社会を築くのか――介護保障をめぐる議論
かつては障害者が自立するには、介護者を自分で探さなければならなかった。障害者たちの闘いの成果によって、90年代以降にヘルパー制度が発足する。ところが一部の障害者や介護者の間では、有料介護をどう考えるかで議論があった。阪神・淡路大震災でボランティアにかけつけた安藤滋夫は、ヘルパー制度の必要性を説いた。ボランティアの有用性を信じていた私と彼とのやりとりの中で、“健全者の特権”を痛感させられることになる。 【漫画】「しすぎたらバカになるぞ…」母の再婚相手から性的虐待を受けた女性 本記事は『カニは横に歩く 自立障害者たちの半世紀』(角岡伸彦著・講談社刊)の一部を抜粋・再構成したものです。 『カニは横に歩く』第6回 第5回「大震災で避難した障害者親子の悲喜劇」より続く
「介護はお金をもらってやるもんじゃない」
いかに介護者の質と量を確保するのか。青い芝の障害者やその介護者は、それを人間関係の広がりや深さの中で解決しようとしてきた。 有料介護者が増えてくると、無料のそれと混交するようになる。しかし、金銭を媒介とした介護の歴史やシステムがないため、有料介護者の存在は、当初は関係者の間でもなかなか理解されなかった。 有料介護者としても神戸の障害者の介護に入っていた安藤は、両者の齟齬について次のように語る。 「みんな(森本、天場、澤田らの関係者)としゃべったら、介護は人とのつながりがどうのこうのとか、お金じゃないとか言うやん。そんならお前ら、俺のことどう思てんねん、という気持ちはあったわなあ。俺なんかよりも断然安定した給料をもろてるデイサービスの職員がそういうことを口にする。自分らは給料をもろてるくせに。別にそんなんで思い悩んだりはせえへんかったけど。 介護はお金もろてやるもんではないと今の学生も言う。新しく来た学生に、給料が出るという話をすると『僕はお金もろてやるもんではないと思うんで』とか言いよる。『ほなら俺はどうしたらええねん』『あー、それは別に……』という会話をたまにする。それは行政にとっては、ただ働きさせとけというおいしい話であってね。今でも行政との交渉で役人が言いよるもん。『ここはボランティアで』とか。調子のええ話やん」 介護は無料で――ボランティアが奨励される世の中にあって、金銭を媒介しない社会活動は文句なしにいいことであるかのような価値観が流布している。だが、安藤が指摘するように、介護を無料で、という考え方は、できるだけ支出をおさえたい行政にとっては都合のいい理屈である。