連れ子を殺害、肉鍋にして食べた加害者家族が「村八分」にされなかった理由「サツマイモ1本出れば、御馳走の時代だったんだよ」(1945年の事件)
〈「娘を食べちゃったんだ」母はなぜ“義娘の死体”で肉鍋を作ったのか…? 誰もが飢えていた時代に群馬県の山奥で起きた「悲劇の正体」(1945年の事件)〉 から続く 【写真を見る】連れ子を殺害、肉鍋にして食べた「加害者家族」 1945年、群馬県の山村で起きた連れ子殺人・人肉食事件。犯人である女性が逮捕されたあとも、残された家族はその村に住み続けた。なぜ村人たちは加害者家族を受け入れ、今も同情を止めないのか…? ノンフィクション作家の八木澤高明氏の新刊『 殺め家 』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 最初から読む ) ◆◆◆
「食っちゃった」
事件は1945年10月、村に駐在していた巡査が村人の戸籍調べをするために一軒、一軒をまわり、山野朝吉の家も訪問したことから発覚した。その時、トラの姿が見当たらないことが気にかかった巡査が安否を龍に尋ねると、 「前橋に子守りに出ていて、8月5日の空襲で焼け死んだ」 特に感情の起伏も見せずに龍は言うのだった。もし死んでいるのなら、死亡届が出ているはずだ。巡査は朝吉の家を出て、その足で役場に向かうと、村長は空襲で焼け死んだという話は聞いているが、死亡届が出ていないと言った。不審に思った巡査が再び尋ねると、最初は前回と同じく空襲で死んだと言っていたが、にわかに証言が変わった。 「トラは病気で死んで、庭に埋めた」 空襲で死んだのではなく、家で死んだのであるなら、何らかのトラブルがもとで殺害された可能性もある。龍と朝吉は警察署に呼び出され尋問を受けることになった。 「食っちゃった」 はじめは食い物がなくて栄養失調で死んだと言っていた龍が、ぽつりと洩らしたのだった。
昭和20年3月26日、近所からの貰い物で日々しのいでいた朝吉一家であったが、その日ついに食べるものが無くなった。龍は日頃から、自分と血の繋がる前夫との間にできた長女、朝吉との間にできた2人の子供には目をかけてきたが、トラにはきつく当ってきた。日々満足に食えない中で、トラは身体が大きかったこともあり、人一倍飯を食らうことも、彼女には我慢ならないことだった。 トラ以外の子供たちを遊びに行かせると、腹が減って寝転がっていたトラを襲った。トラを絶命させると、首と四肢を鋸で切断し、肉を包丁で切り刻み空っぽだった囲炉裏の鍋に入れて、肉鍋を作ったのだった。頭と手首、足先や内臓などは、庭に埋めた。 肉などほとんど口にしたことなかった子供たちは、鍋に入った肉片を見て、歓喜しながら食べた。夕方、日雇の仕事を終えて、戻ってきた朝吉は、それが何の肉か悟ったのか、ひと口も手をつけなかったという。 龍はトラの肉を近所に配った。当時、新聞記者が村人たちにその肉を食べたのかと聞いて回ったが、誰も答えるものはいなかった。
【関連記事】
- 【「事件発生編」を読む】「娘を食べちゃったんだ」母はなぜ“義娘の死体”で肉鍋を作ったのか…? 誰もが飢えていた時代に群馬県で起きた「悲劇の正体」(1945年の事件)
- 【写真を見る】連れ子を殺害、肉鍋にして食べた「加害者家族」
- 「事件を起こした人間の肩を持ち過ぎなんだよぉ」山口県の限界集落で起きた連続殺人事件…生き残った住民がこぼした犯人家族の人柄「人んところの米を盗んだりして…」(2013年の事件)
- 女子高生を男4人で監禁・集団暴行・コンクリート詰めに…“史上最悪の少年犯罪”「女子高生コンクリ殺人事件」犯人たちのその後(1988年の事件)
- 集団リンチで殺害した女子高生をコンクリート詰めにして遺棄…「女子高生コンクリ殺人事件」現場の“足立区綾瀬”を歩いてわかった「事件の風化」(1988年の事件)