「許されるなら、戦死した夫の後を追いたい」若くして3人の子のシングルマザーになった女性の絶望 #戦争の記憶
子どもたちのために、強く生き抜こうと覚悟した
「でも私は強く生き抜いて参ります。総てを子らに捧げて。それがせめてもの、散りにし人への妻の誠でございますもの。 (中略) かつて話題になりました忠犬ハチ公が、帰らぬ主人を死ぬまで駅頭に待ち続けました様に、死せりとは聞きますものの、直接その死に会わない遺族の者の心は、きっとこのハチ公の様に、墓穴に入る日まで心秘かに待ち続け、生への希望とするのでございましょう。 お礼の文がつまらぬ愚痴になって、実に恐縮でございます。何卒、お許し下さいませ。 乱筆乱文ながら、生前のお礼方々、お願い迄、申し上げました。末筆ながら貴方様の御健康と御多幸、遥かにお祈り申し上げます。 松倉ヒデ拝 伊東孝一殿」 *** 松倉上等兵の妻・ひでさんが伊東大隊長に宛てて書いた手紙――。 その後、伊東からの返報があり、ひでさんからの2通目の手紙が入った封筒には約2カ月後、8月31日の消印が押されている。
大隊長からの手紙で、「泣けて泣けて」ならなかった
「鉛筆の走り書きにて誠に失礼でございますが、何卒お許し下さいませ。 お暑さ酷(きび)しき折柄、如何お過しでいらっしゃいますか、お伺い申し上げます。 過日は御丁寧なる御返書、有難く拝読させて戴きました。 多勢の中の一兵士の妻の我儘なお願いを、お怒りもなく御親切なお便りに、只感泣致しました。 早速お礼状をと思いつつも、生活に追われる身の暇なきままに、心ならずも遅くなりまして申し訳もございません。 お恥かしき話ながら、あのお便り手に致しました日は、見栄も外聞もなく、泣けて泣けてなりませんでした。 日頃、耐えに耐えし涙は、拭ってもぬぐっても頬を濡らすのでございました。 昨年の6月から、既に亡き人と悲しい覚悟を決めて居りました身に、今更、悲しい涙ではございません。 お便りに、はじめて知る沖縄での主人の姿が、そのまま私の胸に浮んで参りました。明けても暮れても案じ暮したその人の懐かしいなつかしい姿が、あまりにも如実に記されて居りましたので、つい懐かしさ嬉しさに泣けたのでございます」