「許されるなら、戦死した夫の後を追いたい」若くして3人の子のシングルマザーになった女性の絶望 #戦争の記憶
「さぞ、本人も本望で有った事でございましょう」
「1億の民が矛を持ったまま、終戦の大詔を拝して、痛恨の涙に泣き濡れた日から、はや1年の日が流れ去らんとしています。 此の度、隊長殿には激しい戦火の地たりし沖縄より、御元気でお帰り遊ばされました由、衷心よりお喜び申し上げます。 (中略) 主人、生前は何かとお世話様に相成りましたこと、私より厚くお礼申し上げます。 思えば昭和18年10月、主人を送りましてより、幼い3人の子ら守りつつ、一日としてその武運、祈らぬ日とてございませんでした。 今、幾多の人々の血潮しみ込んでいるで有ろうこの土を前にして、感慨無量、流れる涙ぬぐうすべなき有様でございます。 国、敗れたりとはいえ、お国の為に臣としての本分を尽して散って逝ったのですもの。さぞ、本人も本望で有った事でございましょう。 (中略) 心にかかりますのは、主人最期の時の様子でございます。我儘な申し分ではございますが、出来ましたなら、もう少し詳しくお知らせ願えませんでしょうか」
愛する夫の訃報を受け「死より辛い3か月」
「新聞紙上に発表になりました伊東隊の活躍の模様、また、感状なぞ全部取ってございます。本当に死より辛い3か月でございました。 天かける つばさも欲しや 夫征きし 沖縄島の 便り聞きたや 南西の空仰ぎつつ、幾度かこうした思いに泣かされました。恐らく、総ての人々の心、皆おなじ思いであったことと存じます。 でも、一切を空にして、長い戦いは終わりました。南の端から西、北、東からと、幾年便りなき人々も、次々、敗戦の故国へ帰って参りました。今は、待つ人のなき遺族の者の心こそ哀れ、痛ましき限りでございます。 でも一切は終わりました。新しい苦難の道を再出発しなければならない現在でございます。 赤裸々に申し上げますなら、本当は後を追いたい心で一杯なのでございます。 総てを死と共に葬り去ったなら、どんなに幸福か知れません。されど、残されし3人のいとし子を思う時、それは許されない事です。激戦に散りし主人の心、きっときっと、この子達に残されている事と存じます。 柱と頼む人居ってさえ、暮らし難き現在、か弱い女手に3人の幼子を抱えて進む道は、あまりにも険しゅうございます。かつては歓呼の嵐に送った人々の心も今は、荒みにすさんで、敗戦国の哀れさ、ひとしお深うございます。生活能力を失い、冷たき世に泣く人々のあまりにも多き事、情けなき限りと存じます」