ユニクロ2号店失敗 柳井正、「金の鉱脈」を捨て去る決断
香港で受けた「衝撃」
そんなときに外にヒントを求めようと渡ったのが香港だった。1986年のことだ。アメリカの大学の店をヒントに、広島でユニクロ1号店をオープンさせたわずか2年後のことだ。 それは人の群れがごった返すような香港の下町の小さな店だった。 通りに面したジョルダーノという店にぶらりと入った柳井たち一行は、1枚のポロシャツに目を見張った。特に上等というほどでもないが、モノはしっかりしている。驚かされたのがその値段だった。1枚が79香港ドル。当時の為替レートで1500円ほどに相当した。当時、ユニクロで扱っていたポロシャツは1900円だった。ジョルダーノの店で売られていたのは、柳井が「これより安くは売れまい」と思っていた価格を下回る値付けだった。 「なんで、どうやったら、こんな値段で売れるんだ」 柳井は驚き、その場でそのポロシャツを何枚も仕入れて宇部に持ち帰った。その場に立ち会った幹部によると、「デザインは普通のポロシャツですが、僕が感動したのが縫製でした」という。つまり普通の消費者が目にしないような隠れた部分の仕事が実に行き届いているということだ。 それが、なぜ1500円で売れるのか――。 調べてみて分かったのが、ジョルダーノが卸を通さずに工場から直接仕入れているということだった。しかも服のデザインも自分たちで手掛けているという。 ジョルダーノが香港で実践していたこのビジネスモデルこそ、製造小売業(SPA)と呼ばれるものだった。小売店が服のデザインまで手掛けて工場に発注する。大量生産した服を全量買い取るリスクと引き換えに、圧倒的な安価を実現する。そうすることで商品作りの主導権を小売り側が持つことになる。 「これは」と思う成功への手掛かりを見つけたら即座に行動に移すのが柳井流だ。柳井は知人を通じて香港で発見したジョルダーノの創業者に会う約束を取り付けた。 ●「こいつにできるなら、僕にもできる」 待ち合わせの場所に指定されたのは、香港の街中にあるレストランだった。ジョルダーノの創業者であるジミー・ライ(黎智英)はロールス・ロイスに乗ってやってきた。 このジミー・ライという人は、立志伝中の人物と言っていい。中国の広東省広州市に生まれたが、7歳のときに父親は香港に亡命し、母親は労働改造所に送られたという。12歳で密航船に乗って広州を離れマカオを経由して香港に逃げ延びてきた。「自由の地」である香港では、幼くして手袋工場で働き始め、カツラ工場などをへて苦難の末に自ら立ち上げたのがジョルダーノというアパレルの会社だった。 流民の身から一代で成功をつかんだ自らの半生をライから聞きながら、柳井は腹の内ではこんなふうに思っていた。 (こいつにできるんなら、僕にもできるんじゃないか) 柳井がユニクロに取り入れようと考えていたのは、そのビジネスモデルだった。中国では1949年の共産党革命を機に多くの資本家階級が香港近辺に逃げてきた。その中でも特に多かったのが上海近郊などの紡績工場の経営者たちだったという。1966年から10年間続いた文化大革命によって、その流れは一層、加速していった。 ライの立ち上げたジョルダーノが頼っていたのが、まさにこのような紡績工場の経営者たちだった。ライは柳井と1歳ほどしか違わない。立志伝中の人物だが、果たして自分とそれほど違うのだろうか。 いや、俺にだってできるはずだ――。 香港での会食で柳井はこんなことを「発見」した。発見するだけではダメだ。 「Be daring, Be first, Be different(勇敢に、誰よりも先に、人と違ったことを)」 ●「金の鉱脈」を捨て去る ユニクロにたどり着く以前、鳴かず飛ばずの暗黒時代に米マクドナルド創業者レイ・クロックの著書から柳井が学んだ言葉だ。日本ではSPAのビジネスモデルは確立されていない。それを自分にだってできるはずだ。やるなら勇敢に、誰よりも先に、である。 柳井はようやく見つけた金の鉱脈であるユニクロが軌道に乗り始めたかという、まだまだよちよち歩きだったこの時期に、まったく違うビジネスモデルに転換させることを思い立った。国内外のいろいろなメーカーから服をかき集めて作る「カジュアルウエアの倉庫」から、本格的なSPAへの転換である。 「寝太郎」と呼ばれる無気力青年だった柳井が渋々、宇部の銀天街に戻ってきたのが1972年。そこから成功への「解」を求める12年間もの試行錯誤の暗黒時代をへてたどり着いたのが「カジュアルウエアの倉庫」だった。それを、柳井は「金の鉱脈」と呼んだ。 そのわずか2年後に香港で出合った未知なる国際分業のビジネスモデル。柳井はようやく見つけた「金の鉱脈」を捨て、ユニクロを抜本的に作り替えることを決断したのだ。小さな成功に満足せず、自己否定を恐れない。こんな内なる破壊をへて、宇部の紳士服店を継いだ一介の商売人がカリスマ経営者「柳井正」へと進化を遂げる。