アメリカでラーメンを割り入れた紙コップにお湯を注ぐ様子を見た『まんぷく』萬平のモデル・百福の頭に閃いたのは…<カップヌードル誕生の瞬間>
◆カップヌードル 百福は海外にインスタントラーメンをどう売り込むかで頭がいっぱいでした。 ロサンゼルスのスーパー、ホリデーマジック社のバイヤー達は、百福が差し出したチキンラーメンを見て、首をかしげて困っていました。麺を入れるどんぶりも、麺をつかむ箸も、アメリカにはなかったのです。 そこで持ち出したのがコーラなどを飲むための紙コップでした。チキンラーメンを二つに割って紙コップに入れ、お湯を注いでフォークで食べ始めたのです。食べ終わった紙コップはポイとゴミ箱に投げ捨てました。目からうろこが落ちました。 「欧米人は箸とどんぶりでは食事をしないのか」 そんな当たり前のことに気が付いたのです。 市場調査を終えて、百福はカリフォルニアのディズニーランドに行きました。 そこで、アメリカの若者たちが歩きながら紙コップでコーラを飲み、ハンバーガーをほうばっている姿をじっと見ていました。 「日本でも、食べ物をこんな風に自由に楽しむ時代がきっと来る」 頭の中に、フォークで食べるカップ麺、すなわち「カップヌードル」のアイデアが生まれた瞬間でした。
◆ヒントは目の前にある 海外視察に行く時は、よく娘の明美が同行しました。 百福は明美をたいへん可愛がっていて、高校生になってからも、手をつないで歩いていたので、一緒にいた友達から「まるでお友達みたいね」と笑われるほどでした。 明美が十八歳、甲南女子大学の一年生の時に、アメリカに行った帰りの飛行機で、百福が思いがけない発見をしました。 百福はちょうど、カップヌードルのフタをどうするかで悩んでいました。通気性がなくて、ぴたっと密着する素材を探していました。客室乗務員がくれたおつまみのマカデミアナッツの容器を見て、はっと驚きました。直径四.五センチ、厚さ二センチほどのアルミ容器には、紙とアルミ箔を張り合わせたフタがぴったりと張りついていたのです。 「これは使える」 もう一つもらってポケットに入れ、研究のために持ち帰りました。 このフタには接着剤が使われておらず、百五十度を超える高熱をかけて押さえつけるだけで接着できる「熱蒸着」という技術が使われていました。当時、まだ日本にはこのような方法はありませんでしたが、さっそくカップヌードルに採用され、密閉度を高めて長期保存に役立ちました。 百福はいつも「ヒントは目の前にある」と言っていました。百福の子どものような好奇心がここでも役立ったのです。 この時持ち帰ったマカデミアナッツの容器は、仁子が大切に保管していましたが、現在はカップヌードルミュージアム大阪池田に記念物として展示されています。
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