【DDT】2年ぶりKO-D無差別級王座挑戦の遠藤哲哉「青木真也を倒し、王者として再び中嶋勝彦の前に立つ」(前編)
――サイバーフェス2022の試合後、リング上で秋山準選手が中嶋選手に詰め寄っていました。 遠藤:秋山さんはプロレスの歴史の中で、もっとも過激だと言われた「四天王プロレス」を体現された方。それこそ命を削るような試合をしてきました。 「どこかでストップをかけてセーブしないと、プロレスというジャンル自体が世間に受け入れてもらえなくなる」という考えを持っています。ですから、試合後の「プロレスしようぜ」という発言につながったのではないかと推測します。 ――あの出来事のあと、遠藤選手としてはリベンジの機会を伺っていましたか? 遠藤:自分の中では、それは常に持っていたし、無くしてはいけないものだと思っていました。 DDTをはじめ、周りの皆さんが僕に気を使ってくれて“中嶋勝彦”という名前を出さなかった。それに僕自身が甘えていたところはあります。 ――実は取材のたび、遠藤選手の体重確認をしていました。2021年9月が78キロ、2021年11月が94キロ、サイバーフェス2022直前の2022年3月が87キロ、2022年12月が100キロ越え、2023年2月が95キロ。遠藤選手は2022年6月のサイバーファイトフェス後、100キロまで増量しています。「来るべく中嶋勝彦選手との対戦に向けて増量しているのでないか」と勝手に推察していました。 遠藤:「中嶋勝彦選手へのリベンジに向けて」だけではなく、「今後のプロレスラー遠藤哲哉」のための増量です。 中嶋選手と対戦したときは約82キロ。ファンの方に「遠藤は体重を落としすぎだ」と指摘されました。 体重の増減で防げた問題ではないとは思うけど、首や身体の芯の強さを強くするため、「体重を増やせるのは今の時期しかない」と考えて増量しました。 ――耐久性は増しましたか? 遠藤:筋肉量が増えましたね。身体の芯が強くなった気がしますね。
――遠藤選手はフィニッシュ・ホールド「トーチャーラック・ボム(相手を抱え上げて前方に落とす)」を、重量のある選手に難なく極めていますよね。 遠藤:今年1月のD王 GRAND PRIX(=D王GP)、120キロ近くある納谷(幸男)をトーチャーラックで投げましたよ。試合は僕が負けましたけど(苦笑)。 ――その納谷選手とのD王GP優勝決定戦前、遠藤選手は「“納谷は今年一年悔しい想いをした”って言っているけど、俺は今年だけじゃねえんだよ。ここ数年間、悔しい想いしかしてないんだ」と発言。名前は出さずとも中嶋選手との戦いを忘れていないんだと感じました。 遠藤:あの出来事は無かったことにはならないので。リベンジに成功したとしても無かったことにはならないです。 ――今年3月、遠藤選手がSNSで「中嶋勝彦という存在。1日たりとも忘れた事はない」と発信。ご自身の中で何か変化があったのでしょうか? 遠藤:色々なタイミングが重なりました。昨年末、2021年末のBURNING結成時から活動を共にした秋山さんのユニット脱退、今年1月に飯野雄貴が加入しました。 秋山さんという絶対的存在が居なくなりBURNINGのリーダーとして新メンバーを迎えた。全日本プロレスの安齊勇馬や本田竜輝、Team NOAHの潮崎豪さんや小峠篤司さんと戦い、KO-Dタッグの防衛を重ねていく中、ふと自分のプロレス人生を振り返った。 その時、2022年6月サイバーフェス2022が一番大きな出来事だった。だから、その出来事と向き合おうと。何か具体的な理由があったわけではないです。 (後編につづく) 【プロフィール】 遠藤哲哉(えんどう てつや)1991年8月11日生まれ、宮城県白石市出身。 2012年4月1日デビュー。学生時代に習得した新体操仕込みの飛び技を武器に、DDTを代表するハイフライヤーとして活躍。2020年東スポプロレス大賞技能賞を受賞。2016年7月より所属していたユニット「DAMNATION」を解散後、2021年12月秋山準、岡田佑介、高鹿佑也と共にBURNINGを結成。2022年3月20日DDT25周年記念大会のメインイベントでKO-D無差別級王座を戴冠。同年6月のサイバーファイトフェスにて試合中脳震とうを起こしレフェリーストップ負け。予定されていたKING OF DDTへの参加が出来なくなったことからKO-D無差別級王座を返上。主なタイトル歴はKO-D無差別級王座、DDT UNIVERSAL王座、KO-Dタッグ王座。
取材・文/大楽聡詞 編集/黒澤浩美