忘れられない「赤の思い出」…おめでたい出来事もタクシーの中では話は別【タクシードライバー哀愁の日々】
【タクシードライバー哀愁の日々】#30 鉄道ファンならご存じのはずだが、JR東海所属の「ドクターイエロー」が来年、引退するという。ファンの間では、引退を惜しむ声があるとテレビのワイドショーが伝えていた。調べてみると「新幹線電気軌道総合試験車」が正式名称だという。このドクターイエローを見た人には幸運が訪れるという言い伝えも有名だ。 【写真】Wink鈴木早智子、新田恵利、岩間早織…芸能人が介護現場で人気の意外な理由は「コミュニケーション能力」の高さにあり 私が勤務する会社にも似たような話がある。会社が保有するタクシーの数は約4700台なのだが、その中にわずか7台だけ「ピンクタクシー」がある。とはいっても、車体がピンクというわけではなく、車体の屋根にある表示灯、通称「あんどん」の桜マークの色が通常は青あるいは金色なのだが、その名前の通りピンクなのだ。都内23区と三鷹市、武蔵野市の営業所限定で、ドライバーも「ゴールド乗務員」という選抜された人間にかぎられる。ちなみに私もゴールド乗務員ではあったが、私が所属する営業所にはこのピンクタクシーは配置されていなかった。私は運転したことはもちろんないし、見かけたことすら数回しかない。なにせ4700分の7だから、巡り合えたらラッキーということで、ドライバーは「お客さま、いいことがありますよ」と説明しながら乗車記念カードを手渡すことになっている。 ■「大丈夫、いいの、いいの」と母親 色といえば、私には「赤の思い出」がある。あるとき、母親と娘さんのお客を乗せた。娘さんは小学校3、4年生といった年ごろだ。乗車中、私はとくに会話を交わすことはなかった。目的地に着いて料金の支払いをしていると、その娘さんが戸惑い気味の表情を母親に向けて小さな声で「おかあさん」という。「大丈夫、いいの、いいの」と母親。一瞬「?」と私は思ったが、単なる親子の会話だろうとそのときは気にも留めず精算をすませた。「ありがとうございました」と私はドアを閉めクルマをスタートさせた。 2、3分走った後、私は「座席に前のお客の忘れ物でもあったのか?」と思いクルマを止めた。運転中、よほど大きなものでないかぎり、ドライバーは後部座席の忘れ物に気づくことはない。 クルマを降り、後部ドアを開けてみると、座席の白いシートカバーの上に半径5センチほどの赤い染みがある。「そういうことだったのか」と私は理解した。おそらく娘さんは初潮を迎えたのだろうと……。このままでは商売にならない。私はなんだかむなしい気分のまま、表示灯を「空車」から「回送」に切り替え、いったん営業所に向かった。 「これは捨てなきゃならないね」 営業所で事情を話すと、担当者は私を気の毒がるようにいい、新しいシートを渡してくれた。シートの交換を終えると、私はすぐに街に出ていったが、かぎられた時間の中で、できるだけ稼がなければならないドライバーにとって、往復2時間近い「タイムロス」はうれしいことではない。 女性の成長の証しであるこの出来事は、ひと昔前なら、おめでたいということで赤飯を炊いて祝うこと。とはいっても、それがタクシーの中、それも見ず知らずの中年男に事情を話さなければならないとなれば、躊躇してしまうのは無理からぬことだ。「大丈夫、いいの、いいの」という母親の反応も責めるわけにはいかない。私にとっては災難といえば災難かもしれないが「娘さんにとってはおめでたいこと。長くやっていれば、こんなこともあるよな」と自分に言い聞かせた。 ただ、あの娘さんが、この先“そのとき”が来るたびに、「運転手さんにひどいことをした」と“汚点”として思い出すことがなければいいなと感じながら……。 (内田正治/タクシードライバー)