“虐待体験のある青年”の診療報告をしながら泣き出してしまった…「素直でいい人」すぎる精神科医の患者たちとのやりとり
本書には、アジア系の「頭の黒い移民の精神科医」である著者が、ニューヨークの研修医時代に出会った患者とのやりとりがオムニバス的に収録されている。「スティグマや偏見を解消し、共存の意味を考え直そうという意図で始まった人間図書館」というデンマークでの取り組みをモデルに、「社会的弱者やマイノリティに対する大衆の負の烙印(スティグマ)や偏見を減らすための最も効果的な方法は、スティグマや差別の対象となる集団の構成員と直接会うことである」という観点から、「私の患者と他の人との橋渡しをするような本」として書かれたようだ。 著者は、精神疾患の患者や、精神科の門を叩くことになったマイノリティとのやり取りを、丁寧に、かつ読み物として興味深く記述している。どれも少し胸が苦しくなるような話で、著者の関わった患者たちが目の前で喋っているかのようなリアリティが現出している。著者が余計な脚色をせず、個人情報は適宜変えながらも、その患者のコアの部分だけを抜き出し、そのまま語っているからであろう。しかし、なぜそのようなことが可能なのか。 私は、精神科医になるということは、本来持っている“一般人”の心を失うことに等しいと思っている。精神科診療という職務では、自らの心を道具として現場に差し出す必要があり、現場で様々な感情に晒され、危機を乗り越えた心はある意味で“麻痺”するからである。我々精神科医は“一般人”のように新鮮に驚いたりショックを受けたりすることはできない。 本書を読んで最も驚いたのは、著者が“一般人”の心を失っていないということである。たとえば虐待体験のある青年の診療の報告を指導医にしているときに泣き出してしまったというエピソードがある。私であれば、“可哀想に思っている自分”の発生地点を探るように思考が動き、泣くほどダイレクトに受け止めるという過程は回避されると思う。 あくまで著者が研修医のときの話で、現在はそうではない、というわけではなさそうなのが、「患者に対して真心で向き合えば、患者もまた私に真心で応えてくれる」というモットーを公開したり、「本書を読む人たちが、頭のなかに『あたたかい診察室』の風景を浮かべてくれたらと思う」とはしがきに述べたりしている点に明らかで、つまりなんかこの著者はすごく素直でいい人なのである。人の善意を全く疑っていない。 だからこそ誰にでも伝わる形で著者は患者の人となりをダイレクトに語れるのだと思うし、ここまで書いて気づいたのは、本書を読み、こんな精神科医がいるのかと知ったことがすなわち、私の持っていた精神科医への偏見を浮き彫りにしたということであり、この場がすでにナ・ジョンホという「本」を借りた人間図書館の構造そのものになっているということである。 나종호/イェール大学医学部精神医学科教授。ソウル大学心理学科を卒業後、自殺予防に寄与する精神科医師を目指す。ソウル大学医学大学院を卒業後、ハーバード大学保健大学院で修士課程を修了。その後メイヨークリニックとニューヨーク大学で精神科研修医、イェール大学で依存症精神科専任医課程を終えた。 おぎゅうかみゆ/1989年、東京都生まれ。詩人、精神科医。学術書『偽者論』、詩集に『悪意Q47』、『Uncovered Therapy』など。
尾久 守侑/週刊文春 2024年11月14日号