「オジサン詰め合わせ」のトラウデン発言に怒っている人たち、その怒りの「本当の理由」とは
トラウデン直美さんの「おじさん詰合わせ」発言(トラウデン おじさん で検索)、もはやご本人はカヤの外、外野の殴り合いで盛り上がっている様相ですが、みな主語をデカくして殴り合うもんだから、いつまでたっても着地しないようで。 この記事の他の画像を見る ですがこれ、以前から何度も繰り返されている至極シンプルな案件ですからね、整理して「シンプルに」考えてみましょう。 まずは性別をすべて入れ変えてみる。若い男性タレントが「おばさんの詰め合わせですね」と発言したら……うん、叩かれる。もう絶対叩かれるでしょう。 次に発言者を入れ替えてみる。年配の男性キャスターが「おじさん詰合わせ」発言をしたら……お前もおじさんだろ、と突っ込まれつつも、男性差別という文脈でケチを付ける人はあまりいないはず。 ただしこれ、例えば農業従事者が自分を「わしら百姓は~」と言っても差別発言扱いされないという「ご本人マジック」が効いているだけなので、もし「年配の女性キャスター」によるおじさん発言なら、やはり「男性差別だ」と叩かれたでしょう。 いや、そもそもあの発言に男性差別の意図はない、男性中心の政治に対する批判なんだ、と擁護する方もいるんですが、今話題の立憲民主党の代表選だって、名乗りを上げているのは権力闘争を勝ち抜いてきた歴戦のおじさん達であり、そっちもちゃんと批判されているのかと言えば、そういうコメントはされていない。ダブスタもダメですね。 SNS上では「この程度の揶揄も許されないのか」「いつの間にこんな窮屈な言論空間になったのか」と今回のトラウデン論争を嘆く活動家さん達の発言が見られるんですが、正直、今回の騒動で「男性差別だから」という理由で心底怒っている人って、実は少ないと思っています。そうではなくて…… 「嘆いている人たち」「擁護している人たち」がこれまでやらかしてきたこと。言葉の揚げ足を取り、言ってはいけない空気、不謹慎と言われたらオシマイという窮屈な言論空間を作り上げてきたこと、それに対する反発。これはかなり大きいでしょう。 そもそも政治家だったら「おじさん」程度の言われようは余裕で受忍限度内ですよ。でも今回、それを擁護している側が「おばさん」程度の発言も絶対許さないという言論空間を作ってきたワケで、だから「おい、ちょっと!」という話になっているのです。そう思いません?