箱根駅伝2025 三冠&初優勝がかかる國學院大の成長ぶりを5年前の主将・土方英和が分析「全員が優勝だけを目がけて走っている」
【前田監督は「いい意味で変わっていません」】 2024年11月3日、國學院大が初制覇を果たした全日本大学駅伝では、底上げされたチーム力を再確認した。レース当日は土方自身も九州実業団駅伝に出走していたため、観戦はできなかったが、録画でじっくりと見たという。 「後半区間は、ちょっとずるいです(笑)。5区、6区のレベルではなかった。本当に主力級の強さでした(5区の2年・野中恒亨、6区の4年・山本歩夢はともに区間賞)。青山学院大に差を広げられていたのに、気づけば追いついていましたから」 つなぎ区間と言われる場所で流れを引き寄せたのは、区間配置の妙だったのかもしれない。一方、人心掌握術に長けた前田康弘監督ならではの意図も透けて見えた。6区に配置された山本の起用法である。前回の箱根駅伝は、故障の影響で欠場。今年度の出雲駅伝もケガ明けだったこともあり、2区で区間5位と本来の力は出しきれていなかった。 「他大学のエース格が集まる区間で区間賞を取るのはなかなか難しいですが、全日本の6区は少し層が薄くなるところで比較的取りやすい。前田監督の狙いはわかりませんが、山本にとっては、三大駅伝で初の区間賞で大会MVPはすごく自信になったはずです。もともと主要区間を走ってきた主力ですし、箱根にも生きてくると思います」 かつて土方も、経験しているのだ。 大学1年時に伊勢路の5区で起用され、区間4位と力走。つなぎ区間で自信をつかんだという。2年時に箱根駅伝の2区を希望したときには、「4区で自信をつけてからいこう」と諭されたこともあった。運営管理車からの声がけも、はっきりと耳に残っている。 「『来年はお前が2区を走るんだぞ』って。僕の気持ちをわかってくれていたんだと思います」 指揮官の熱い言葉にもあと押しされ、2年目は4区で区間3位と手応えをつかむと、3年目からは花の2区で出走した。あらためて、思い返せば、前田監督の「その気にさせる声がけ」に気づくことは多い。土方が最終学年を迎えたシーズンに、選手たちで大きな目標を掲げたときもそうだった。当時41歳の熱血漢は、若い学生に負けない熱量で目標達成に心血を注いでいた。 「僕たちだけではなく、前田監督も本気で『目標は往路優勝、総合3位』と口に出してくれていました。だからこそ、奮い立たせてもらったし、チーム一丸となって、目標に突き進めたと思います」 土方は大学卒業後も、恩師とつき合いを続けており、今でも4カ月に1度のペースで食事をしながら話をしている。互いに年齢を重ねたが、熱さは相変わらずのようだ。 「いい意味で変わっていません。僕らの時代と変わったのは、國學院に入ってくる選手ですかね」 箱根駅伝の101回大会に向けて、46歳になった前田監督は「國學院史上最強のチームだと思っている」と堂々と宣言している。エントリーされた16人のメンバー選考も、かつてないほどし烈を極めたという。10000mの上位10人の平均タイムは28分22分26秒。シューズが進化した影響を差し引いても、5年前の29分05秒09と比べると、格段の違いである。往路候補があふれ、前回経験者もふたり外れるほど。土方は、戦力の充実ぶりに舌を巻く。 「上位2、3人だけが強いのであれば、昔の國學院とあまり変わりませんが、今は違います。シンプルにスカウトがよくなり、選手層が厚くなっています。最近は13分台で入ってくる新入生も当たり前になっています。平林だけではなく、往路をまかせられる選手が5人以上もいるので。 3年生の青木瑠郁、上原琉翔の実力はわかっていましたが、今季は2年生の辻原輝、野中らが急激に伸び、主力クラスになっている印象を受けます。出雲、全日本には出走していなかった後村光星も力を持っています。出雲、全日本を見てもわかるように、今や後半区間でも仕掛けることができます。駅伝自体が変わりましたね」 箱根駅伝の戦略も例年とは変わってきそうだという。OBとして國學院の駅伝を見続けてきた土方は、あらためて時代の流れを感じていた。 つづく ●Profile土方英和(ひじかた・ひでかず)/1997年6月27日生まれ、千葉県出身。國學院大時代は1年時から4年連続に箱根駅伝に出走。3・4年時はチームの主将を務め、箱根では2年連続2区に出走を果たし(区間7位、8位)、4年時にはチーム史上最高の総合3位に貢献した。また、同大史上初の三大駅伝優勝となった4年時の出雲駅伝ではアンカーを務め、3人抜きを果たしてゴールテープを切っている。卒業後は実業団選手としてマラソン、駅伝で活躍し、2022年9月から旭化成で競技に打ち込み、現在は副主将も務めている。マラソンの自己ベストは2時間06分26秒(2021年2月)。
杉園昌之●取材・文 text by Sugizono Masayuki