スポーツをしていた人が「人生」という試合会場でも強い納得の理由
日本で、あるフランスの外資系の会社にフランス人の社長が赴任した際、すぐにその企業ではメンタルトレーニングをしていないのかと人事部長に尋ねたらしい。すると、「日本ではわが社をはじめ気合いと根性で十分に成果を出してきたので、メンタルトレーニングなど取り組んできたことはない」と答えたそうだ。 そのフランス人の社長は、サッカーのワールドカップでフランスが優勝した際のメンタルトレーニングをやっていた方がフランス支社でビジネスパーソンたちにもメンタルトレーニングをしていたという話をされて、日本支社でもそのような先生を探してやってほしいとなった。そこで、わたしに声をかけていただき、彼が社長のときの3年間くらい取り組んでいたことがある。 ● 欧米ではスポーツは 文化であり最高の知育 スポーツの見方や心への考え方に、欧米と日本ではまだ差があるように思えてならない。その日本におけるすべての原因は、スポーツを体育として教育されていることにあるように思う。 スポーツは体育ではない。スポーツは、徳育も知育もすべてをふくむ人間が生きるために必要なことを知ることのできる「文化」である。ルールを守ることやチームの輪を保つことなど徳育もあるし、何をしたらいいのかを自ら考え、答えのない問いに対して向き合っていく最高の知育だ。 もちろん、運動神経のよし悪しや、スポーツをするときの好き嫌いもあるが、「文化」としてのスポーツは体育と違ってするだけではない。するだけじゃなく、観るとか支えるとか話すとか聞くとか読むもあるはずだ。 たとえば、『スラムダンク』の漫画は読むスポーツ文化だ。読むことで心の豊かさを手に入れることができるだろう。だから、1億冊も売れている最高のスポーツ漫画になったのだ。 イタリアはスポーツも盛んだが、芸術も優れた国だ。芸術家がセリエAでスポーツはしないがカフェでスポーツの試合を語り、人生を豊かにしている。アスリートたちも声楽や楽器はやらないが、オペラやクラシックのコンサートを聴きに行く。