“大東亜戦争”と呼んじゃダメ? 陸上自衛隊がX投稿を削除...なぜ批判? 反対派の教授「“大”とつけたいなら“アジア太平洋日本大敗北戦争”だ」
■「“大”を使いたいなら“アジア太平洋日本大敗北戦争”」
ならば、どう呼ぶべきか。佐々木氏は「地域で考えれば『アジア太平洋戦争』。本当に“大”を使いたいなら、冗談っぽく言って『アジア太平洋日本大敗北戦争』。日本は“終戦”と言うが、実際には“敗戦”。国家目標を立て、組織的に対応したが、結果的には侵略戦争で普遍性もなかった。その反省が戦後のスタートだが、負けた大原則を外して『いいこともあった』と言うのは換骨奪胎でしかない」と話す。 さらに、「自分たちが加害者であった歴史は、誇りある日本人として立て直すために重要。ドイツ人はナチスとしっかり向き合って克服してきた。克服する姿勢が、被害者側と共有できる歴史を作る。脳天気に“大東亜”と言うことは、歴史から何を学ぶかを忘却している」との考えを示す。
パックンは、アメリカでは「おおまかに“第二次世界大戦”として学んだ」と振り返り、「アメリカが戦ったのは三国同盟。日本はナチスとあまり関係ないと思っているが、アメリカ人から見れば『支えているじゃないか』となる。日本は被害者意識が強く、加害者意識が薄い。アメリカも反省すべき点が多々あるが、“大東亜戦争”は反省が含まれない言い方ではないか」と述べた。 「名称すら決まらないのは、戦争博物館がないことが大きい」と辻田氏は推測する。「アメリカも諸外国も、国立の戦争博物館では近現代史が描かれ、国民が学習することで、歴史観のベースになる。歴史を『65点はいいことをした』『35点は間違っていた』といった配分で描く施設を、日本もそろそろ作るべき」と提案。 佐々木氏は賛同しつつ、「国立と民間の博物館は少し違う」といい、「市民社会同士の歴史も構築しなければならない。“修復的正義”のもと、加害者と被害者が歴史的事実を共有しながら、二度と繰り返さないような歴史を共同で構築できる。新しい歴史づくりは、今の世代の責任だ」と自論を述べた。 先日、辻田氏はフィリピンを訪れ、「日本が戦場にしたが、ASEANの世論調査では約97%が日本人に好感を持っている。現地の人に聞くと、『日本人を許しても、あのことは絶対に忘れない』と口をそろえる。歴史の共有は可能で、できる所からやっていくべき。新たな研究や国際情勢の変化で、和解できる場面はある」とした。 こうした背景もあるなか、結局どのような表現がベターなのか。「“太平洋戦争”や、より中立な“第二次世界大戦”が無難。“大東亜戦争”を使う場合は、覚悟の上で使う必要があり、説明する責任も生じる」と答えた。(『ABEMA Prime』より)