ヒット曲初動化&ファン細分化を一気に加速させた「おニャン子クラブ」…そして「アイドル冬の時代」に
これまでのキャンディーズやピンク・レディーのような2、3人から一気に大人数のアイドルグループというスタイルとなったわけだが、これはプロ化させない普通の女の子集団を、数でカバーするという戦略もあったかもしれない。 ◆オリコンチャート1位は独占状態に… グループアイドルの活動として、グループ活動と並行してソロや数名のメンバーによる派生ユニットを続々送り出したことも大きなエポックだ。最初にソロデビューした河合その子の『涙の茉莉花LOVE』以降、新田恵利、国生さゆり、渡辺満里奈、城之内早苗、工藤静香などソロデビューを飾り、ユニットも、うしろゆびさされ組、ニャンギラス、うしろ髪ひかれ隊などが誕生、正統派だったりコミカルさを強調したりと、おニャン子クラブ関連だけである程度のアイドルのジャンルが網羅できてしまったのではないかというほどのバラエティ感を拡大させる。 ソロやユニットも含めた大量のリリース展開により、’86年は年間52週のうち36週のオリコンチャート1位をおニャン子クラブ関連の楽曲が占めるという結果を巻き起こし、トップテン内に複数のおニャン子関連作品が存在するということも珍しくなくなった。 アイドルソングに限らず、これまでのヒット曲は、発売から数週間、なかには数ヵ月かけてじわじわと売れてくるものが多かった。おニャン子クラブ関連の楽曲群は、それを初動重視にシフトさせ、『夕ニャン』で猛プッシュして新曲を盛り上げ、初登場1位を獲得する流れを常態化させた。このころからヒット曲の短命化とファンの細分化が一気に加速したとされるが、果たしておニャン子クラブがそれを引き起こしたものだったのか、もしくはそういう時代になることを先読みしたうえでの展開だったのだろうか。 そしてグループの活動途中でのメンバーの脱退は解散につながることと等しかった時代から、「卒業」という言葉とともに、新メンバーが新たに加入し、グループという「箱」のかたちを守りつづけるという、現在のグループアイドルで当たり前となったシステムを取り入れ始めたことも大きな転換点だ。 ◆「アイドル冬の時代」到来 そんな『夕やけニャンニャン』も、盛大な文化祭が終わるかのように、やがて視聴率も低下し、’87年8月に番組は終了、おニャン子クラブも9月に解散する。 かつてはお茶の間のヒット曲が並んだランキング番組も視聴率は低下、『ザ・トップテン』が’86年3月に番組終了、『ヤンヤン歌うスタジオ』が’87年9月に、そして『ザ・ベストテン』が’89年、『夜のヒットスタジオ』が’90年に最終回を迎えている。アイドルが出演できる歌番組やアイドルバラエティが次々に終焉を迎え、アイドルたちがテレビで活躍する場はどんどん失われていった。「アイドル冬の時代」「アイドル氷河期」と言われる時代の到来である。