堀米雄斗 “大逆転の大技” 生まれた背景に東京五輪後の苦悩「本当にキツい3年間」スケボー奇跡の連覇
パリ五輪、スケートボード男子ストリートのベストトリック5本目で、この日の最高点97.08を叩き出して劇的な逆転優勝を飾った堀米雄斗選手。 日本時間2024年7月31日の朝、めざましテレビに生出演し、大逆転を成し遂げられた理由を明かしました。 【写真】見事な大逆転で2大会連続金を獲得した堀米雄斗選手を見る
堀米選手「今でも信じられない気持ち」
金メダル獲得から1日経ち、めざましテレビにパリから生出演しインタビューに答えました。 試合を終えて一夜が明け、気持ちは落ち着いたか問われると… 堀米選手: そうですね、落ち着いた気持ちもあれば、本当に今でも信じられない気持ちもあります。 やっぱりこの金メダルを取った時は、東京オリンピックの時よりも、重さをすごく感じます。 2連覇を達成して反響などはあったか聞かれると「みんなすごい喜んでくれました。今回は家族のみんなも応援しに来てくれていたので、すごく力になりました」と話しました。 また、親友の那須川天心さん(25)からも連絡があったようで「天心もインスタグラムなどで応援してくれて、『かましたれー!』とコメントをもらいました。」と明かしました。
“大逆転で連覇” 背景には東京五輪から3年間の苦悩が…
決勝では「ベストトリック」4本目を終えた時点で7位。金メダルをとるには、最後の1本で96.98点以上を出さなければならない状況でした。 決勝直後のインタビューで、4本目を終えた時点の心境を振り返った堀米選手は… 堀米選手: 4本目、ミスった時はほんとにマジか ここでこれかと結構思っていたので、守りの滑りでいったら絶対に悔いも残るしメダルも取れないと思ったから、ここまで来たら最後乗れるか分からないけど、“あのトリック”で最後いきたいと思いましたね。 「“あのトリック”で最後いきたい」 まさに絶体絶命の状況で、堀米選手を奇跡の連覇に導いた、最後の大技「ノーリー・バックサイド270テールブラントスライド」。 実はこの技が生まれた背景には、東京五輪からの3年分の思いが込められているといいます。 堀米選手: 東京オリンピックが終わってから、もちろん楽しいこともありましたが、どちらかというと、本当にキツいことの方が多くて、オリンピックにもいけるか分からない状況で、何をやってもうまくいかないこともありました。 その中で自分がどんどん変わっていかないといけないっていうのは分かっていたので、今回の決勝での最後のトリックとかも生まれていった。 本当にキツい3年間でしたが、その3年間を乗り越えられたからこそ、結果につながったのかなと思います。 堀米選手: 特にオリンピック予選では予選落ちも続いたので、本当にオリンピックにいけるか分からない状況で、最後の大会で1位を取ればっていう(状況だった)。 わずかな1%の可能性を信じて、今回のオリンピックの最後の最後まで信じてこられたのが優勝の鍵になったと思います。 そんな東京五輪からの3年間を経てつかみ取った奇跡の連覇の陰には、支えてくれた人たちの思いもありました。 堀米選手: 支えてくれた家族や仲間、サポートしてくださった方々やファンの方のおかげで、最後まで滑りきることができました。 最後のトリックでは、滑っているときは1人でしたが、技が決まった時はみんなの思いが全部詰まっていたと思います。 一方で、競技中にシャツがめくれた瞬間、腰の部分には大きな赤いアザが見えました。 これについて理由を聞くと… 堀米選手: 最後の最後まで追い込んでいたので、体もすごく限界はきていました。 朝起きたときも体がまったく動かないこともあり、ケガもいっぱいあったので、次に向けてこれからきちんとケアしていこうと思います。