溢れる破壊と殺戮 足りない日常生活品 --- 写真家・鈴木雄介氏が見たシリア
親日的なシリアの人々
とても困難な状況に置かれているアレッポの人々ですが、取材期間を通して市民、兵士を問わず多くの人に助けられました。自分が日本人だとわかるととても親切にしてくれ、彼らのフレンドリーさには驚きました。 昨年夏にアレッポを取材中に亡くなられた山本美香さんのことを知る兵士達には「ミカは明るくて美しい人だった。彼女はシリアの為に血を流したんだ、それを申し訳なく思う。日本政府は彼女の為に何かしたのか?」とよく聞かれました。 日本にいると実感出来ませんが、中東での日本の印象は日本製品の質の良さやこれまでに行ってきた政府と民間による援助、アメリカと過去に正面から戦いを挑んだ歴史などがあり、親日の人がほとんどです。 特にフィクサー(ガイド)のアフマドという青年と彼の家族、親戚には大変お世話になりました。彼自身も反政府軍のメンバーなのですが、年も近いせいかすぐに友達になり、出会ったばかりの自分を信用してくれて彼の家族、親戚が一緒に住む家にずっと泊めてもらい、アレッポ滞在中ずっと寝食を共にしました。 荷物を減らす為にずっと着ていた汚れたシャツを見れば彼のおじの奥さんが「洗濯するから」といって綺麗にしてくれたり、毎日、昼食や夕食を彼らと供にする中でアラビア語を教えてくれたり、日本の写真やビデオを見せて笑い合ったりしてまるで本当の家族のように自分を扱ってくれました。 兵士達にしても、前線で自分の身を案じてくれたり、食べ物を持っていればそれを勧めてくれたりと、こんな状況にあってもシリア人のホスピタリティーは戦争が始まる前と変わっていないんだと実感しました。
戦争は避けられないのだろうか?
それだけに、この何千年もの文化と歴史を築いてきた国が、いま人の手によって壊されていくのを見るのはとても辛いことであり、戦争の虚しさを感じずにはいられませんでした。 いまここで血を流して国の将来の為に戦う人間達を見て、シリアが地理的に過去何度も戦乱に巻き込まれてきた過去を考えると、戦争は人間が地球上に現れて以来繰り返されている行為であり、戦争は人間の社会活動の中で避けられない現象なのだろうかと考えざるを得ませんでした。 しかし、現実に地上で銃を持ち打ち合っているのは一人一人の生身の人間です。誰かの父親であり、息子であり、夫や恋人です。その彼ら一人一人に目を落としていけば、いかなる理由があっても彼らが死ぬ時、残る物は悲しみとさらなる憎しみでしかありません。 誰もが国の将来を案じ、アサド政権をもし倒すことが出来たとしてもその後がどうなるのかは予測不可能です。 もはやシリア国民自身の手では収拾がつかない状況になってしまっている為、国際社会の踏み込んだ関与がない限りシリアの戦争はしばらく終わることはないでしょう。しかし、今やイラン、ロシア、中国、イスラエル、ヨーロッパ諸国、アメリカなど各国の思惑や、イスラム原理主義グループ、クルド人グループ、世界各国から集まった外国人のグループなどがシリア内で仲間割れをしたり、もうわけがわからない状況に陥ってしまいました。 その元で生きるシリアの人々の苦難が少しでも外の世界に届けられ、何かが変わることを願って止みません。 ------------------ 鈴木雄介フォトグラファー 1984年千葉県生まれ。音楽学校在学中に好奇心からアフガニスタンを訪れ、そこで出会ったジャーナリスト達に影響を受けて写真を始める。2010年に渡米し、ボストンの写真学校在学中より受賞多数、卒業後はニューヨークを拠点にフリーランスとして活動中。伝えられるべきストーリーや出来事の中に潜む人々 の感情を、写真という動かないメディアに焼き付け、人に伝えるのを目標としている。