腐卵臭の先から「出してくれ」という声…シリア”拷問刑務所”奪還に参加した人物が見た「地獄の光景」
戦闘員と大学生が一緒に…
シリアで半世紀以上続いた独裁政権が8日、イスラム教スンニ派武装組織「ハヤト・タハリール・アル・シャーム(HTS)」が主導する反体制派勢力の進攻により崩壊した。各地の刑務所では、アサド政権下で「政治犯」とされた多くの収容者が救出された。 【画像】すごい…!”拷問刑務所”の内部写真…! 首都ダマスカスの郊外にあるアドラ刑務所で、反体制派勢力に同行し、収容者たちの解放に携わった男性に話を聞いた。 ダマスカスに住む医学部生のオマル氏(23)は12月7日、市内で同じ大学に通う仲間たちと集まり、反体制派勢力の戦闘員らと連絡を取っていた。ダマスカスに向けて南下しているという情報を受け、自分たちも協力しようと案を出し合っていたという。 「僕たちは学生で、武器を持ったこともない。でも、大学で医療や医薬品について学んできた。そこで、刑務所の解放に協力することにした。収容者たちの応急処置や、病院への搬送を担当しようと考えたんだ」 オマル氏らは救急医療品などを用意し、反体制派勢力と8日未明にダマスカス郊外で合流した。反体制派の戦闘員約100人に加え、ボランティアや医療関係者らも大勢集結し、アドラ刑務所へ向かった。 「みなさん、われわれは反政府側だ。みなさんを解放しにきた」 「ダマスカスは自由の街となる。落ち着いて、中にいてくれ」 HTSの戦闘員は、メガホンを使い中にいる収容者に向かって繰り返し叫んだ。 オマル氏によると、反体制派勢力は刑務所の外にいた守衛らと数分間の銃撃戦を行った。一部の区画では、手榴弾も使用された。だが刑務所が完全に包囲されていると悟ったからか、守衛側がそれ以上攻撃してくることはなかったという。 ◆幼い子どもや女性まで 戦闘員らは、収容者を怖がらせたり傷つけたりしないよう、慎重に刑務所内に入った。安全であることが確認されると、オマル氏らや他のボランティアも後に続いた。 「たまごが腐ったような、何とも言えない異臭が漂っていた。収容者たちは訴えかけるような目でこちらを見ながら、『出してくれ』と叫んでいた。もう大丈夫だ、みんな自由になれるんだよ、と必死に彼らを元気づけた」 オマル氏は、刑務所内に足を踏み入れた当時についてそう振り返った。 前回の記事(「ネズミが収容者の体を食べようと…シリア”拷問刑務所”で3年半収容された男性が語る『地獄の日々』」)でインタビューに応じてくれたバセル氏も、この刑務所に収容されていた一人だ。アサド政権の崩壊をまだ信じられず、夢を見ているようだと語っていた。 「僕を含め、ほとんどのシリア人は生まれてからずっとアサド政権の下で生きてきた。ずっと自由を求めてきたけど、いざ『自由だ!』と言われて、ピンとくる人がいないんだ」 アドラ刑務所は複数の区画に分かれており、政権に反対した罪で捕まった人以外にも、殺人や麻薬密売といった重罪で捕まった囚人も収容されている。事務所内には収容者の名前や罪状が書かれた資料が散らばっており、それらの書類をもとに一人ひとりが収容された経緯を調べる必要があった。 刑務所の収容人数は2500人だが、オマル氏によると実際の収容者数は約9500人に上る。中には若い女性や幼い子どももいたという。 「入口付近など複数の場所には、看守らが着ていたとみられる制服が脱ぎ捨てられていた。収容者の中に看守らが紛れているのは間違いなかった。何人かは拘束されたようだが、中には逃亡した人もいるだろう」 独房のある建物からは、拷問に使用されたとみられる器具が複数見つかった。汚物がそのまま放置されている独房もあったという。屋内は湿度が高く、重苦しい空気が漂っていた。 「足を負傷して自力で歩けない人、複数の肋骨を骨折している人、栄養失調の人、そして精神的ダメージから全くコミュニケーションを取れない人……。健康と呼べる人は一人もいなかった」 オマル氏と友人らは、収容者らの治療を行ったり、重傷を負った人から順に病院へ搬送したりした。刑務所の解放が始まったのは8日早朝だが、搬送や移送は終日続いた。刑務所の外には、家族や友人を捜索する人の姿も見られた。 「醜悪な状況であることは知っていたが、実際にそこに足を踏み入れると、これまで以上に政権への怒りが込み上げてきた。こうした形(医療担当)で反体制派に協力できたことを誇りに思うが、今まで何もしてこなかった自分に罪悪感も覚えた」 政権崩壊を祝う一方で、失踪した家族や友人を待ち続ける人も多い。政権批判などにより拘束されたまま行方不明となった人の数は、数万人から十数万人に及ぶとされている。 取材・文:鈴木美優(ジャーナリスト)
FRIDAYデジタル