「14万円のオイルディスペンサー」の共同製作者が語る、料理家・有元葉子の「こだわりを実現する力」
大事にしたのは“愛着を持てるもの”を作る
――有元さんとは、今回が初めてのお仕事ではなく、実は10年以上も前に玉川堂で、その時はひとりの職人として一緒に“湯沸(ゆわかし)”を作られた、とお聞きしました。 当時、有元葉子さんの名前はご存じでしたか? 「当時は失礼ながら、存じ上げておりませんでした。 後になって先生のご活躍を聞いて、自分とは別の世界にいらっしゃる方なんだろうなと思ったのが正直な印象です」 ――オイルディスペンサーの依頼は、どんな風に頼まれましたか? 依頼主の頭の中のイメージを共有するのは、とても難しく思えるのですが、どんなやりとりがあったのか、工夫されたことがあれば、教えてください。 「今回の依頼は、ササゲ工業の代表で友人の捧さんを通じていただきました。 先生のイメージのインプットは以前からお使いのディスペンサーを見せていただくことから始まりました。 『買ったものは自分』みたいな感覚に似ているのですが、オイルディスペンサーを通して先生を表現することだと思いました。 モノづくりにはいろいろな価値基準があると思いますが、私は先生が“愛着を持てるもの”をお作りすることが、今企画のいちばん大事にしたところです。 具体的には大まかな叩き台となるディスペンサーを、実際に銅で数パターン制作したものや、スケッチで提案も織り交ぜながら、とにかく先生のこだわりを聞きまくりました。 伝わりきれないところは調整し、次はまた別の部分を調整し、の連続です。 そこは地道にトライ&エラーを積み重ねましたね(笑)」
今まで経験した中で最も長い試作期間
――有元葉子さんは依頼主として、どんな方ですか。 「先生はとにかく優しいです。いつもやわらかく要望を伝えてくださいます。 『あ、でもこれは絶対譲れないところだな』というこだわりの芯みたいなものをしっかり持っていらっしゃるので、やり取りの中に曖昧さはありませんでした。 長く時間がかかったのは、こちらの仕事の事情もありましたが、それだけこだわりや思い入れの濃い内容だったということに尽きます。 私が今まで経験した中で最も長い試作期間でしたが、最後まで面倒と思わせないところも先生のお人柄の凄さかなと思います」 ――鍛工舎の前、渡邉さんはどんなことをされていたのでしょうか。モノ作りに興味を持たれたのはいつ頃からですか。 「子供の頃から自分の手で何かを作るのが好きでしたね。 図画工作や美術の授業で、いつも(5段階~10段階評価で)一番高い評価をいただいていました。 お恥ずかしい話ですが、今思えば、その大いなる勘違いで今の道に進むことに決めましたし、全く迷いはありませんでした(笑)。 長岡造形大学に進み、鍛金という分野に初めて触れました。 専攻の期間はおよそ2年と短く、卒業後、大学院に進みもう2年アカデミックに進めていくのか、世の中に出て実践的に進んでいくのかの選択でした。 分からないなりにずっと続けていきたい、早く世の中に出たいという若気の勢いみたいなものはありましたから、早く実践できるであろう玉川堂の門を叩きました。 これはもう時効かもしれませんが、入社して割とすぐに自分の中で勝手に『5年。独立するまで5年』と決めていました。 玉川堂の一員として職人人生を全うするか、自分の能力でこの技術と生きていくか。 ここにも選択がありましたが、やはり性分なので後者を選びました。 先輩方から仕事を学ばせてもらいながらコツコツと自分の工房を準備する、そんな5年を経て、2005年春に鍛工舎を立ち上げ、今に至ります」