元カリスマホスト・城咲仁の今。自ら厨房に入っていた実家の中華料理店が閉店…明かした舞台裏と“父への想い”
家族として当たり前の行動
丸鶴のTシャツを着てお店に立つ城咲さんを見ると、お店を継いだと思う人も多いだろう。だが、本人曰くお店を継いだワケではなく、「父のチャーハンの味を守りたい」という一心で働き始めたようだ。 「みんな、親父が体調を崩したから僕がお店を継いだって思っているんですが、そうではないんです。そもそもは、僕の妻が『お義父のチャーハンをどんな形でもいいから残せないのかな』って言ってくれて。でも、自分が毎日調理場に立つのは無理だから、冷凍チャーハンとして商品化するために厨房に立ち修行を始めたんです」 つまり、お店を継ぐ継がないの話ではなく、単純に家族として、息子として当たり前のことを言っただけであった。 「そのあとに親父が体調を崩しまして……。家族が苦しんでいる時に、長男の僕が助けないで誰が助けるのか。自分がお店に入って『みんなで丸鶴を残すぞ!』ってやらないと、スタッフのみんなも心が折れちゃうし、お店を存続させるために、少しでもフォローしようと思い、厨房に入ることにしました。その時は、なくしてはいけないモノを失っちゃいそうな気持ちになって怖かったんですよね。僕を育ててくれた人が死にかけているのに助けに行かなかったら、今やっている僕の生き方が嘘になっちゃうんですよ。タレントって人を幸せにする仕事なのに、家族すら幸せにできず蔑ろにしているヤツの言葉なんて誰も聞かないでしょ」
修行で得た貴重なモノ
タレント活動の合間に、冷凍チャーハンを商品化するための修行を行うようになった城咲さん。それまでの日々とガラリと変わったことによる苦労などはあったのだろうか。 「まったく、ツラくなかったですね。毎日4時半に起きてウキウキする時間を過ごしていましたよ。『今日こそ美味いチャーハンを作ってやる』、『今日こそいつもより早くチャーシューを切ってやる』って、毎朝自分に課題を作って楽しくやっていました」 また、朝早くから仕込みをするようになって、父親の気持ちがわかったのが嬉しかったという。 「なんかいいんですよね。真っ暗で寒くて、まだ火が入っていない丸鶴に一人でカギを開けて入っていく孤独さが。親父も毎日こんなにも孤独だったんだ、そして仕込みをしないと丸鶴には命が宿らないんだって。一番最初に自発的に4時にお店に入ろうと思ってカギを開けた瞬間の気持ちは今でも大切にしています」 さらに厨房に立ち、修行を続けることによって、実家に対するイメージが変化したそうだ。 「丸鶴は生まれた日からあって、当たり前のように出入りしていたんですが、ここで60年近く丸鶴の味が守られてきたんだなと考えると、単なる実家なのに神聖なる場所に思えてきちゃって(笑)。最近は敬意を持ってお店に入っています」