「篤人さん、上手かったので」DF町田浩樹の“内田先輩と鹿島イズム”がアツい…日本代表をもっと強くするため「属人的にならない仕組みを」
田中碧の提案を実践…オーストラリア戦の試み
その中で責任感をもって、ある提案をした選手がいる。 「(田中)碧から『守田(英正)くんが真ん中に落ちるより、自分が左に落ちたほうが良いのではないか』という話があって……」 そこから守田らをまじえて話しながら、解決策を模索していった。その結果、後半になってから田中が町田の左斜め前に出て、町田が前半よりも内側(リベロの谷口彰悟寄り)にポジションを取るようになった。 その変更が直接的にゴールにつながったわけではない。だが後半に入って変化は起きていった。まるで、「あるところでの変化が、最終的に大きな変化をうながす」バタフライエフェクトのように。(https://number.bunshun.jp/articles/-/863452) 「自分たちの立ち位置やプレーエリアを変えたことで相手の対応が変わりましたからね。結果的に良い変化を作れたかなと感じました」 町田が、田中からの提案をスッと受け入れた理由は2つあった。 1つ目が、守備のバランスを考えたからだ。 「もちろん、僕がサイドに開くという選択肢もあるのですが、それだとアンバランスになり、相手の反撃を受けたときのリスクも上がる。攻撃の良さと奪われた時のリスクマネジメントから、碧の言った通りボランチを高い位置にした方が良いなと感じました」
内田が得意としてきたことは、町田に継承されている
もう1つが、田中と長い期間、ともにプレーしてきた経験則からだ。 「東京オリンピックのチームで一緒にやっていたときには、碧はあそこに出たいタイプだなと感じていた。僕も開いて受けたいタイプではあるのですが、彼のやりやすいようにプレーしてもらうことがチームにとってプラスになるのだろうとは考えました」 このあたりにも、「内田イズム」とも「鹿島イズム」とも表現できる、町田が受けてきた教育の成果がにじみ出ている。 内田はシャルケ在籍時、CL準決勝のピッチに立った。あれからもう13年半以上もたっているのに、そこに続く日本人は出てきていない。当時の内田は、前にいるジェフェルソン・ファルファンのために汗を流し、気を使ってきた。自分が余計に汗をかくことになっても、前の選手が気持ちよくプレーできるように工夫することで、チームに良い循環が生まれる。内田が得意としてきたことは、町田に継承されている。 何より、森保一監督は選手が気持ちよくプレーすることを大切にしているわけで、町田は求められていることをしっかり理解できる選手なのだ。
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