日本最強の飛行教導隊、「空自アグレッサー」のどこがすごいのか?
「飛行を解析して、部隊を指揮していた4機編隊長リーダーに、私は聞いたんです。 AGR「ここでAGRの編隊は見えてた?」 編隊長「見えていたであります」 AGR「どこにいた?」 編隊長「ここであります」 しかし、編隊長は全く違う空の一点を指差しましたね。見えていなかったわけです。最初の計画通りの訓練をやっていたら、多分ぶつかっていた。AGRのパイロットは、その格闘戦での将来図がパッと描けて分かる。4人が同じ認識を同時にできたから、空中衝突事故は防げたんですね。 やはり『部隊を強くする』こと、そして『訓練でパイロットを殺してはいけない』。これが鉄則です」 太平洋戦争で"大空のサムライ"と呼ばれた坂井三郎氏に筆者は取材したことがあるが、空戦の模様をこう表していた。。 「サーッと見渡して、乱戦になっている空戦域で1秒後、2秒後、3秒後が、どうなるかが瞬時に分かります。それで、その中で一点を見出して、そこに全速で突っ込み、敵機の後ろに付いて、撃つ」 この場合は必殺の撃墜だが、この時AGRが行なったのは『事故防止』。しかし、同じテクニックなのだろうか。 「はい、似てますね。だから、AGRはやはりすごい部隊だなと思いました」 そのAGRは1981年12月17日に創設された。 「その創設された当時の方々が鬼籍に入り始めました。AGRはその時々のメンバーのインタビューが専門誌に掲載されています。しかし、創設から今までの歴史、『AGRとは何?』という本はありません。 AGRのメンバーがこれまで何をやったかまとめられたものが、歴史的に何も残ってないのはちょっとさびしく、まずいかなと思っていました。それで、何かしら残しておきたいと思いましたね」 そして、その本は『赤い翼 空自アグレッサー』として出版された。 「読みました。書いてあること自体は、まさしくAGRにいたパイロットたちの生き様じゃないですか!! これを読んで、皆さん、そして部隊の後輩には、こうやって部隊がずっと繋がっていったんだなと感じてもらい、さらに次の世代で進化しながら歴史を紡いでほしいなと思いますね」 しかし、そのAGR関係者ほど口が堅い人々はいない。やったことは全て沈黙の彼方に持っていかれる。すなわち『沈黙の艦隊』を越える"沈黙の教導隊"なのだ。その沈黙の扉を開ける鍵を持っていたのが、この方だった。 <酒井一秀氏。航学20期。AGRにいたパイロットの誰もが「T2AGRのエース」という男> 写真を見せていただくと、どう見ても最強のヒットマンにしか見えない。話を聞いて、書かせていただけるかどうか。山田ゴクウ元空将の紹介のもと、筆者にとって首実検のような面接に臨んだ。