日本最強の飛行教導隊、「空自アグレッサー」のどこがすごいのか?
「あの時は賭けでした。取っ掛かりだし、久しぶりに一番緊張した重要なミッションでした。私にとっては完全にAGRの先輩後輩の関係で、酒井さんがノーと言えば、もう取っ掛かりはないですから」 結果は、この本が出版されたことで「合格」だった。 「面談の後、酒井さんから『でもお前さ、あいつ(注:筆者)ひとりで行かしたってダメだろ』と言われました。『私が一緒に全て行きます』と言ったら、『それだったらいいな』と仰っていました」 こうして、山田ゴクウ元空将と筆者の、北は北海道から南は九州まで至る、AGRを辿るすさまじい旅が始まった。 「酒井さんから『最初にまず増田さんに会いに行って聞け』と言われて、行きましたね」 その旅で、AGRには酒井氏以上に怖い方がいたことを骨の髄まで思い知らされた。 増田直之AGR三代目司令、防大4期。1937年3月25日、福岡生まれ、取材時87才。退役まで総飛行時間5500時間、うち、F104に2500時間乗る。取材場所まで行き、増田元司令から御名刺を頂いた。 肩書は『遊び人』。 筆者は40年間以上、週刊誌記者を営んでいる。今までそんな肩書の名刺をいただいたのはわずかだ。渡世人というか「お勤め」と呼ばれる刑務所に十数年いた方々は、その肩書を好んでお使いになっていた。 山田ゴクウ元空将には「増田さんは、とても好々爺(こうこうや)ですよ」と言われていたが、違った。 増田元司令が、お付きの秘書らしい子分のような方に、「おい、あれ」と声を掛けた。すると、PCが取り出され、いきなり画面には『教導隊の歌』の動画が現れた。しかし、流れていたのは、音のないカラオケ画面のようなものだ。 増田元司令は、にこやかに「歌える?」と筆者に聞いた。空自戦闘機部隊の取材は既に連載を書き始めて8年に及ぶ。そのなかで全国の飛行隊を取材したが、隊歌を歌えと言われたのは、初めてだった。 だから、歌えるわけがない。筆者は適当に『きょーーーどぉーーーたぁーい』と唄うと、好々爺は大魔神と化し、烈火の如くお怒りになった。 「私もびっくりしました。その人の本質って一瞬で戻るんだな、と。やはりAGRの枠の中に入った時は絶対的に違います」 事前に伝えて頂きたかった......。しかしその瞬間、AGRが創設された当時からの真剣さと本気さを、筆者は叩き込まれ学んだ。 最初に記したAGRの鉄則、『部隊を強くする』『その訓練でパイロットを殺してはいけない』は創設の頃から存在していたのだ。 「訓練は当然ですが、実戦でも死なせないためには、AGRは必要な部隊です。 今後、時代と共に空戦の様相は変化していくと思います。米空軍ではアグレッサー部隊はどんどん縮小されていましたが、その時は米軍の兵器体系がロシア、中国に対して断然優位でした。 しかし近年、ロシア、中国はその体系に追いついて来て、米空軍はそれだけの兵器体系では勝てなくなってきました。そこで、死なないために何をするんだ?と見直して、アグレッサー部隊にステルスを入れたりしながら強化しています。 だから、空自のAGRもそれなりに変化していくと思いますが、基本的な精神は変わらないでしょうね。最後はもう、一対一になって格闘戦になっても、勝てるように教導する。私が隊長の時はそうしていました。今でもそれは続いているのだと思います」 取材・文/小峯隆生