「被爆体験者」医療費助成の拡大方針、原告側「あわれみ受けているよう」…怒りや落胆相次ぐ
国が定めた区域外で長崎原爆に遭った「被爆体験者」の一部も被爆者と認めた長崎地裁判決を巡り、原告と被告の双方が控訴する方針を決め、法廷での争いはなお続くことになった。被告として苦渋の決断を迫られた長崎県と長崎市は、国が提示した医療費助成の拡大方針を評価したが、原告側からは被爆者認定を避けた形での「救済」に対する怒りや落胆の声が相次いだ。 【写真】記者会見に臨む大石知事と鈴木市長
「被爆者と認めるだけでいい」
「うわべだけのパフォーマンス」「(国の)あわれみを受けているようだ」。原告団が21日、長崎市で開いた記者会見の会場は失望感に包まれた。支援する長崎県平和運動センターの米村豊議長が「原告には何の説明や報告もなく、納得ができない」などと語気を強めると、原告らは一様にうなずいた。
地裁判決で被爆者と認められなかった山内武さん(81)は「『被爆者と同等に』と言うなら、被爆者と認めるだけでいい。全く評価できない」と切り捨てた。支援活動を続ける被爆2世の平野伸人さん(77)は「全面解決の一歩になるならば、医療費の拡充は評価できる」としたが、「当事者を無視した施策は許せない」と憤りも見せた。
広島地裁で同種訴訟を争う原告団を支える「原爆『黒い雨』被害者を支援する会」共同代表の牧野一見さん(80)(広島市)は、「助成で支援は充実すると思うが、法の下での平等な救済でない限り、根本的な解決とは言えない」と話す。
国控訴方針で長期化避けられず
「本当に悔しい。国には裏切られた思いだ」。地裁判決で新たに被爆者と判断された浜田武男さん(84)は長崎市内の自宅で、2012年に80歳で亡くなった姉、松本文子さんの遺影を前に肩を落とした。
5歳の時、爆心地から約8・3キロ離れた矢上村(現長崎市)で原爆投下に遭遇し、文子さんと兄の武さん(86)とともに被爆体験者となった。下痢や不眠症などに悩まされるうち、「原爆の影響ではないか」と考えるように。3人は07年、被爆者健康手帳の交付を求める訴訟に加わり、「自分たちも被爆者だ」と訴えた。