スズキの鈴木修相談役が死去、世界的企業に育てる インド市場開拓
Maki Shiraki Chang-Ran Kim [東京 27日 ロイター] - スズキは27日、鈴木修相談役が悪性リンパ腫で25日に死去したと発表した。94歳だった。40年以上にわたって経営を主導、スズキを世界的企業に育て上げた。自動車後進国だったインドにいち早く進出し、自動車を広めた功績から「インド自動車市場の父」とされる。2021年に会長と取締役を退き、相談役を務めていた。 銀行勤務を経て、1958年に鈴木自動車工業(現スズキ)に入社。創業家で2代目社長の鈴木俊三氏の娘婿となり、78年に社長に就任した。2000年からは会長を務め、08年には再び社長を兼務。15年に長男の俊宏氏に社長職を託し、16年には最高経営責任者(CEO)も譲り、会長として経営判断に携わってきた。 国内では「軽自動車のスズキ」としてトップの地位を築き上げ、売上高を社長就任から30年間で約10倍の3兆円に拡大させた。ただ、大企業になっても自らを「中小企業のおやじ」と呼び、徹底した現場主義と強いリーダーシップで会社を率いた。 1980年代前半にはインドでの四輪車生産に乗り出した。米ゼネラル・モーターズや独フォルクスワーゲンなどとの提携に動いた時期もあったが、2010年代後半にはトヨタ自動車との提携を進めた。自動車の変革期でも勝ち残るため、スズキの盤石な経営基盤づくりに尽力した。 高齢の経営者として長年、「いつまで社長を続けるつもりなのか」と尋ねられていたが、持ち前のユーモアでその質問をかわし、「死ぬ日まで」などと答え、会長退任時も「生きがいは仕事です」と述べ、生涯現役として走り続けると話していた。 トヨタの豊田章男会長は「お悔やみの言葉」を寄せ、「日本の軽自動車を発展させ、国民車にまで育てあげられた憧れのおやじさん」と述べた。16年の業務提携での会見を振り返り、「軽自動車という日本独自のクルマ文化を守ってこられた経営者としての覚悟。厳しい競争を生き抜いてきた、そして、これからも絶対に生き抜いていくという気迫を肌で感じた」とコメントした。