オコエ瑠偉、高校時代のハングリー精神を取り戻せ!【新連載! 主筆・河嶋宗一コラム『グラカン』vol.1】
2年春まで「ベンチ外」だったオコエ
皆さん、こんにちは!! 『高校野球ドットコム』の河嶋宗一です。この1月から新たな連載をスタートすることになりました。 題して「グラカン!」 私・河嶋が「これまでグラウンドで見てきた感動シーン」(略して『グラカン』になるわけです)をみなさまにお届けしていきたいと思っています。 【動画】オコエ瑠偉の高校時代のインタビュー 『高校野球ドットコム』には、大学生のインターンとして参加し、そのまま入社。今年で14年目を迎えます。そんな私にとってターニングポイントとなったのが、入社3年目、2015年のことです。 あのオコエ 瑠偉外野手(関東一-楽天-巨人)が私に野球記者の醍醐味を教えてくれたのでした。 オコエ選手は、この年を代表する高校球児のスター。父がナイジェリア人で、母が日本人のハーフ。高い身体能力を生かした大型外野手として、夏の甲子園ベスト4に大きく貢献する活躍を見せました。 しかし、オコエ選手が全国区のスターになったのは、夏の甲子園から。それまでは「ギョーカイの中ではそこそこ有名」くらいの選手だったのです。 私が彼の名を聞いたのは、2年だった2014年の春季都大会です。センバツ帰りの関東一は東京実との初戦を迎え、6対5で逆転サヨナラ勝ち。じつはこのとき初めてオコエ選手が公式戦のベンチ入りをはたしたんです。 当時の『ドットコム』の試合レポートには、関東一の米澤 貴光監督のオコエ選手をベンチ入りさせた理由についてのコメントが載っています。 「刺激を与える意味もあります。ベンチ外でも頑張っている子はいますから」 オコエ選手はこの試合で適時打を放ち、続く4回戦の國學院久我山戦で本塁打を放つなど、監督の期待に応えました。
素直で賢い男
私が実際、オコエ選手を初めて見たのは、2年春の関東大会の作新学院戦でした。しかし、印象には残っていないんです。プレーを見た記憶はあるのですが……。まだまだ彼はブレイク前だったのです。 しかし2年夏、オコエ選手は飛躍します。東東京大会で22打数12安打、打率.545と大活躍を収めたのです。アマチュア担当の新聞・雑誌記者、野球ライターから注目を浴びる存在へ成長しました。もちろん『ドットコム』編集部でも“オコエ人気”が高まっていきました。私も成長を見せるオコエ選手と話したいという思いは日々高まっていました。 ついにそのチャンスが巡ってきます。 『ドットコム』で、「センバツに出場できず、最後の夏にかける選手にインタビューする」という企画をやることになったのです。オコエ選手は真っ先に名前が挙がり、私が担当することになりました。 オコエ選手率いる関東一は前年秋の都大会準決勝で敗れており、残された甲子園へのチャンスは夏のみ。夏への想いを聞くために、3月下旬、関東一グラウンドに足を運びました。 初めて対面したオコエ選手はとても素直で、自分の考えをしっかりと話せる賢さを持った青年という印象を受けました。 「1年生のときはベンチ外。活躍する同級生の姿を見て『このままではいけない』と思いました。寮ではご飯3杯をしっかりと食べるルールがあるのですが、それまでは適当にご飯をよそって食べていたんですが、しっかりとご飯3杯食べるようになりました。また打撃フォームの矯正にもしっかりと向き合っていきました」 このひたむきなエピソードが心に残っています。 また、オコエ選手は、2年生の時に1学年上のセンター・熊井 智啓外野手(桜美林大卒業)という俊足選手からポジションを奪うことを目標にしていました。 熊井選手は13年秋季都大会優勝、センバツ出場の原動力になり、簡単に超えられる選手ではありませんでした。しかし、オコエ選手は公式戦に出場するようになった2年春からセンターのポジションを奪います。当時の佐久間和人コーチ(現・東京都市大塩尻部長)はこう語っていました。 「熊井は確かに足が速かったですし、高校生としてハイレベルな外野手です。しかしオコエは、トップスピードに乗ってからの加速といい、俊足を生かした守備範囲の広さが高校生のレベルではなかった。やはり生まれつきなんでしょうね」 佐久間コーチはいわゆるBチームをメインに見ており、オコエ選手がベンチ外のときから指導し、ポジティブな声掛けをしながら、その才能を引き出した恩師にあたります。 それまでの私の取材は、すでに有名な選手や、入学当初からエリート街道を歩んだ選手を対象としたものが多かったのですが、彼のように“下剋上”を成し遂げた選手の取材は初めてでした。選手が成長する背景には、本人の意識と努力、そして選手を支える周囲のフォローが必要だということを、現場で実感することができました。そしてグラウンド上で見せるオコエ選手の朗らかな表情を見て、より一層応援したい気持ちになりました。 インタビューを配信したあと、大きな反響があったと会社から連絡がありました。個人的にも手ごたえのあった取材でしたので、素直に嬉しい気持ちになりました。