<春はばたく>第93回センバツ注目校紹介/2 常総学院(茨城) 恩師継ぎ、長所伸ばす
1月29日、5年ぶりのセンバツ切符をつかんだ常総学院。出場の知らせを聞いた島田直也監督(50)は胸をなで下ろした。昨秋の関東大会では就任からわずか3カ月で準優勝に導き、甲子園出場も果たした。「今も野球に携われているのは木内監督のおかげ。また指導者として母校に戻り、甲子園に行けるのは幸せなこと」と恩師への感謝を口にし、喜びをかみしめた。 関東大会後の11月24日、取手二(茨城)と常総学院で計3回の全国制覇を果たした名将、木内幸男さんが亡くなった。島田監督は常総学院3年だった1987年春、木内さんの下で同校初の甲子園出場を果たし、同年夏の甲子園ではエースとして準優勝に貢献した。プロ野球・日本ハムなどを経て、引退後は四国独立リーグで監督を務めると、昨春にコーチとして母校に招かれ、7月に監督に就いた。 就任当初は「高校生とはいえまだ子ども。言わないと動けないし、プロとは全く違う」と実感し、指導の重圧から眠れない日もあったという。そんな時は木内さんが采配を振る試合の動画を見ては「こうやっていたなと思い出し、自分の気持ちを高めた」という。 木内さんの相手の意表をつく継投やスクイズは「木内マジック」と称された。島田監督は「よく選手を見ていた。長所を伸ばして勝つのもマジックの一つ」と振り返る。そんな指導法は島田監督に受け継がれている。関東大会では、長打狙いで大振りする選手たちに「自分たちのスイングをしよう」と声をかけ、優勝した健大高崎を上回る打率3割8分8厘を残した。 恩師に直接、甲子園出場を報告できなかったが「誰より野球が好きな人だから、今もどこかで見てくれているはず。いつか超えられたら」と島田監督。甲子園を知り尽くした恩師を目標に、一戦必勝を誓った。【尾形有菜】=つづく