次官だからこその「引きこもり」と「殺人」
『忠臣蔵』との関係
実は『忠臣蔵』すなわち赤穂事件について書いたばかりである。 その記事にも書いたが、政治的、法律的には、荻生徂徠の意見のように厳しく処断すべき事件であった。しかし、一般庶民は義士たちに喝采を送った。時代につれて変化する「武士道」の問題もあり、朱子学を基本とする江戸幕府の思想統制の問題もあり、簡単に善悪の結論は出ない。 もちろんまったく異なる性質の事件であるが、共通する部分として、日本社会には、法的(公的)な裁きに頼るのでもなく、また神や仏という神秘的な力に頼るのでもなく、「自ら決着をつける」という「家長のあるいは家の一員としての責任」という観念があり、現代にもそれがまだ強く残っているような気がするのだ。 当初は元次官が、川崎の連続殺傷事件のように引きこもりの息子が他人に迷惑をかけることを恐れたという報道がなされたが、「家長の責任」ということがほとんど意味をもたない現代の法廷においては、弁護の方針が自己防御という点に絞られたのではなかろうか。 この事件の重さは、日本社会そのものの空気の重さではないか。閉廷後「お体に気をつけて」という検察官がかけた言葉には、行政官としての共感、あるいは尊敬、あるいは同情といったものが滲み出たのだろうか。そこにも「家社会の文化」が顔を出しているように思える。