次官だからこその「引きこもり」と「殺人」
「省の長」と「家の長」
また殺害された長男の言葉には、友人に対しては父親の立場を誇りながらも、家庭ではそれが重荷になっていたことが現れている。しかも残された言葉がすでに暴力的なほど激しいものだ。そして父親も、次官だからこそ一般市民のようには周囲に相談できないという状況があった。また母親のうつ病にも、長女の縁談不成立による自殺にも、父親の社会的地位の高さが起因している部分があったかもしれない。 そして熊沢元次官は、きわめて評価の高い仕事ぶりでありながら、BSE(牛海綿状脳症=狂牛病)の問題で責任をとったという経歴だ。大臣の発言に問題があり、対応が後手にまわったことで不安と混乱が生じたのだが、これは彼の仕事人生における唯一の汚点であったのだろう。長男に対する最終決断に、この問題のトラウマ、すなわち「もっと早く決断していれば」という強迫観念があったのかもしれない。 そこに、国家のある省の長としての責任感と、一家庭における長としての責任感が重なったような気がする。「家長」という概念は、現代の法律においてはほとんど意味をもたないが、現実の日本社会においては今なお大きな力を発揮しているのだ。
家社会における「やど」の喪失
僕は、『「家」と「やど」―建築からの文化論』(朝日新聞社刊)を書いて以来、あちこちで「日本は家社会である」と論じてきた。個人と社会との関係は、国家という「大きな家」と、家族という「小さな家」と、企業や省庁や学校という「中ぐらいの家」によって構成され、そこには相互干渉と相互保護の濃密な空気が漂っている。 しかし同時に日本社会には、その「家」の呪縛から逃れる逸脱の空間としての「やど」が用意されていた。日本文学史(特に短歌)において「やど」は、旅の宿というより、「家」という社会制度の中の住まいとは異なる、個人的な、思想的な、美学的な住まいとして、あるいは非公的集団の住まいとして使われることが多かった。 だが近代社会においては、法的な管理の網の目が次第に細かく濃密に張り巡らされていく。また戦後民主主義の価値観はきわめて平均的かつ画一的な人間像を押し付けやすい傾向にある。つまり近代化、管理化とともに、日本社会から「やど」の空間が消失していく傾向にあった。 事務次官という公的権力のピラミッドの頂点に立つ人間とその家族には「家社会の強い呪縛」が働いている。「中ぐらいの家」としての学校や職場を簡単には変えられない立場であり、それはほとんど国家と同じ力をもってこの家族を呪縛していた。次官とその家族には、社会制度から逸脱する空間としての「やど」がなかったのだ。